2017年1月21日土曜日

もしも世界がシム(シュミレーション)ならば

 しばらく前に「もしも世界が」という曲を作った。これはガラにもないメッセージソングのような曲だ。だが曲を作ってもまだモヤモヤして言い切れてない物が残っている気がする。なので余談的なものも含めて「もしも世界がシムならば」(原案の詩)というテーマで言いたかった事を少し書いてみようと思う。

 「もしも世界がシム(シュミレーション)ならば」というのは、もしもシムシティ(ゲーム)のように自分が神の目線に立ってこの世界を運営してる立場からみたら、今の世界はいったいどのように思うだろうという意味だ。
 もともと私はそう言った事を想像するのが好きなほうなのだけど、3.11そしてそれ以降にいろんな出来事を見てから、それらは単なる空想ゲームではなく、真面目にそう言った視点でいろんな物事を考え直すべき時期にきたのではないかと思うようになった。

 そう思う一つの理由が、あまりにも現在の政治家や経済人が目先の事柄だけを考えて問題を先送りしたり放置したりしすぎると感じるからだ。日本は特に酷くてオリンピックや海外にばら撒く金は惜しまないのに、その100分の1程度ですむ福祉や教育支援にすら金を渋るという意味不明なことばかりをやっている。そしてそんあ馬鹿げた事にたいしてすらも真っ向から否定しないマスメディアもしかり。おかげで今となっては日本の政治はあまりにも適当で乱暴で、あたかも思いつきで適当なことばかりやるようになった。
 それらは色んな原因があると思うが、ひとつには考え方の硬直、そして今の現実(目先)に適応する事に集中しすぎて、かえって問題を放置しすぎているような事が多いせいだと思う。でもそれは本当は危ういことで、昔から有名な生物学のセリフで「適応しすぎた種は滅ぶ」というのを思い出す。

 これは考え方の問題だけなのだけど、例として「ホリエモン」のエピソードをあげたいと思う。過去に「堀江貴文が保育士資格廃止・自由競争化を提案して賛否両論が巻き荒れる」というような話題があった。内容は民家の保育サービスが保育士の待遇が改善されない為に立ち行かなくなっている問題に対して、ホリエモンが自由化すればいいと発言して色々と反論が多かったという話題だ。
 最近こう言ったなんでもかんでも自由化すれば良いという物言いが多い、ホリエモンもそのひとつである。確かにそれも一つの解だ。だが自由化して貧乏な為にサービスを受けられない人が多く発生したらどうなるのだろうか? ホリエモンに代表されるような新自由主義はたいてい、それは自己責任だという。それは何を意味するのかと言うと、ようするにホリエモンに代表される考え方は「この世界に適応するのが賢い人間」で、かつ経済的なプラスかマイナスかだけであらゆる物事を評価しようする事だ。

 だがホリエモン的な考え方について、なんかうまく反論できないけどモヤモヤと「なんか違うのじゃないかな?」と思う人もいるのではなないだろうか? 私もその一人である。私はホリエモンの考え方はある意味で合理的で間違ってないとはおもうが、それでも考え方には賛同できない。それは問題があった場合にどう答えを模索するかの違いである。
1)「この世界(ゲーム)のルールに従って勝つ」       (自分だけが適応できれば良い)
2)「この世界(ゲーム)のルールに問題があるなら改変すべき」(自分だけではなくもっと快適なように改変すべき)

 ちなみにホリエモンは本当に解りやすい1)の人だ。確かにそれは事実として間違ってない、でも誰もがそうするだけではこの世は住みにくいし息苦しくなる一方だ。ならば理不尽なルールの方を正してちょっとでもよくしようと言うのが2)の思考である。

 この2つの思考のどちらを選ぶかは日常、例えば仕事なんかをしていてもわりとよく遭遇する。例えば仕事上での問題があった時に、とりあえず自分の目先だけを解決するか、あるいは他にも困っている奴がいるかを探して(だいたい同様の問題に悩んでいる者が一人はいるはず)共同で対処して解決する方を選ぶかと言う場面は度々ある。そして私は可能ならは共同で解決したい方なので、どうせ手間暇がいるならば2)の考えに従って世界を少しでもマシにする方を選ぶ。
(仮にホリエモン的な考え方をするならば、協力するより相手を出し抜けと言うかもしれない)
 
 だがこう言った話をすると、同時に決まって現実主義者を名乗る者が現れて「理想なぞを述べるのは甘いんじゃないか、世の中はもっと厳しいんだ」的な事を言い出す。私もさんざんそんな連中と付き合ってきた。でもそう言った事も結局は物の見方ひとつだけだと思う。
・叶わない理想を考えるのはエネルギーの浪費だ、だから最初から考えない方がいい
・理想を考えないのは闇雲に猪突猛進しているだけでそれこそ合理的でない、単なる想像力の欠如だ

 もともと人は自由に考えていいのだから、上記のどの考えを自分が選ぶかは勝手だ。でも近年の多くの問題を考えると、特に日本の政治なんかでは目先のことばかりを考えてダメになる事があまりにも多すぎる気がする。パイの取り合い四苦八苦して騙し騙されやるよりも、むしろ新しいパイでも作るとか、うまく分けるルールを作って無駄な争いなくす方がはるかに合理的だと思う。それに、そういう考え方は本来特殊なものでもなく、もうちょっとお互いが相手の顔を見て話すようにすれば本当は普通で身近なものだと思う。

 なので私は「もしも世界がシム(シュミレーション)ならば」、あるいは「もしもゼロからルールを再構築可能だとしたら」と考える事は、行き詰まった時にやってみる価値のある「思考実験」だと思っている。たまにはそうしないと、何が本当の問題かがよくわからなくなる。


 ちなみにこのような事を考えながら、グローバル化や新自由主義の問題を考えつつ、はたしてどういうモデルが良いのだろうかというのが最近よく頭に浮かぶテーマだ。私的には安定した世界をモデル化するには今の過剰に最適化されつつある世界より、むしろ多少は冗長性を保ったままで緩い壁のある「半自給自足型の都市や社会」を設計するしかないのではないかと思っている。暇があったらいずれはこのテーマも書いてみたいと思う。

<参考>
もしも世界がシムならば(詩)
もしも世界が(曲)
【炎上】堀江貴文が保育士資格廃止・自由競争化を提案して賛否両論が巻き荒れる結果に腹BLACK 2016年5月29日
「贈与経済」論(再録)

2017年1月3日火曜日

未来予測2017 ~歪みが深まる時代~

<はじめに>
 今年で5年目となる毎年恒例の未来予測を書く。なお2016年を振り返ると、本当の意味でのカタストロフ(大戦クラスの世界的な問題)は起らなかったものの、かなり一種触発で危ういタイミングはあったような気がする。アメリカとロシアの関係、およびイスラエルと周辺国の関係など、紛争の域をハミ出しかねない場面も私的にはあったように思う。
 ただし2016年予測に書いたような大きな事が起こる(又はその兆し)になるほどの事はまだ起こっておらず、ただ世界の歪みだけが弓を引き絞るようにさらく強くなっているように感じる。


<世界の行方 〜シリア内戦より〜>
 シリア内戦だが2016にはまったく収束する気配はなかった。2017年のポイントはトランプ大統領がどのように行動するかだろう。トランプ大統領はロシアよりをアピールしているために、あるいはアサド支援にまわって流れは変わるかもしれない。
 だが私は2016年予想に書いたように紛争あるいは形を変えた争いは終わらないと思う。

 正直いって私はこれらの争いが何の争いなのかが分からなくなってきた。言い換えるとこれから何の争いになるかが不確定だという状態だ。例えば今起こっていることは、いったい次のどの文脈で説明できるのだろうか?
・シリアのアサド体制に対する戦い
・イスラム教徒の宗派対立
・アラブ周辺国の権力闘争
・ロシアとアメリカの対立
・イスラム文化圏と西洋(キリスト)文化圏の戦い
・イスラム思想と資本主義的な世界観の戦い

 この争いの本質がこれからいったいどれに集約されてゆくのか、それによって争いの広がり方や内容も違うだろう。
だがむしろ私は「そもそも何の争いかが解らないままに」世界へと紛争が拡散されていくのではないかと思っている。規模は不明だがいままでノーマークだった場所へ思わぬ形で争いが飛び火するかもしれない。

 重要なのはこれらの争いに大してどのような発想をもって解決を探ろうとするかだが・・・それが結果的には過去に書いた「未来予測2016 ~世界3つのシナリオ~」の方向性を定めると思う。私は何か根元的に発想を変えないと、もはや文明的な争いに発展しかねないこの問題は収束できないと思う。 

 発想を変えるというのは小細工のレベルではなく、例えば過去に書いた記事「新しいパートナー(人口知能による政治参加)」ぐらい(これはあくまでも例だけど)大胆な発想転換をするべきではないかと思う。


<日本の未来>
 2016年、私は日本という国が死んだように思えた年だった。それは夏の参議院選挙で与党の圧勝する姿をみた時に感じた思いである。

 これは本来はあってはいけない出来事だった。与党側はそれまでに数々の不祥事や失策、民意を無視した政策、将来性の無い無謀な政策などを次々に実施し、民意だけではなく法制度そのものも毀損してきた。だがその法律を守らないゴロツキまがいの連中が何事もなかったかのように選挙で再び選ばれたのだ。これはいくらメディアがヨイショ記事を書き続けたからといっても本来はあり得ない結果である。まさに末世であり「狂人が盲人の手を引く」という図式を完成させてしまった。

 与党政府がこれまで一貫してやってきたのは自身と取り巻き連中の延命のみである。落ちぶれた三菱グループを救済する為に兵器産業にのめりこみ、東芝を救済する為に原子力政策をあと押しし、電力会社とその談合的な利権グループの世界を維持する為に全ての電気料金に原発廃炉費用を上乗せすると言いだした。
 採算がとれる見込みのないリニア着工もあえて実施する理由となれば土木利権へのバラマキとしか考えられない。そしてさらにカジノ利権という新たなものまで生み出した。逆に福祉や教育にかかる費用はとことん削られた。

 想像してみよう。仮に国家を人体のモデルとして例えたら経済活動は血液の流れに相当する。血液のようにお金が末端まで行きわたることでしか健康を維持できない。
 だが現在まで与党がやってきた政策は頭や肥大したガン細胞化した部分にのみ血液を集め、手足への血液循環を怠っているような事を突き進めている。だが頭やガン細胞だけで生命が生きられるわけではない。やせ衰えた手足は放っておけば壊死するし最終的には生命活動そのものが危うくなるだろう。
 つまりは彼らは国家を管理する立場にありながら、とっくにその役割を放棄しているのである。

 漠然とした私が想像する未来の日本のイメージは、実質的に世界(外資的なもの)に身売りをして細々と人が生きる姿だ。延命していた産業もいつかは滅び(外資に買い取られるとか)代わりの産業を育てる事はできず、人材育成も教育や貧困のせいで劣化を続けて、安い単価で酷使される人だけが大量に存在するような社会である。

 あるいはこの島国(場所)には外資が投資するだけの価値すら存在せず、日本人は過去のツケとしてもくもくと必要性のなくなった原子炉を運営、あるいは解体するだけの作業をする人たちだけが暮らすような寂れた場所になるかもしれない。

 上記に書いたのはあくまでも私の妄想である。だが2016年夏の参議院選挙で与党が圧勝し、もうだれも止められない状況になった今、だれもその悪夢のシナリオを止められないのではないかと思っている。


<参考リンク>
未来予測2016 ~世界3つのシナリオ~

未来予測2015 ~不安定化する世界~

未来予測2014 ~安倍政権という方向性~

未来予測2013 ~私的予言録~

新しいパートナー(人口知能の政治参加)