2016年10月16日日曜日

「妖(あやかし)」の思考、「人間」の思考

 最近ふと「夏目友人帳」を見ていてなんとなく納得した事があるのでブログを書くことにした。テーマは「妖(あやかし)の思考」で、つまりは人間以外、あるいは普段とは異なる思考方法について考えを述べたいと思う。

 少し補足すると「夏目友人帳」は日本で人気のある妖(妖怪とか物の怪など)をテーマにした漫画で、妖を見る力を持っている主人公の高校生が色んなトラブルや不思議な体験をする話である。
 ちなみに私はグロい話は好きではないけど「百鬼夜行抄/今市子」とか、あるいは神話をテーマにしたような話はわりと好きである。こういった物語はイマジネーションを書きたてるし、異なる文化を持った者との出会いを描いた体験談として読むと楽しいからだ。



 では話を戻すと、夏目友人帳を見ていて私がなるほどと思ったのは「妖って起承転結を求めないんだ」という事である。

 つまり彼ら(妖)は「物事に対して理由を求めない」。何故こんな事がおきたか、どうしてこうなったかと言った経緯や理由を考えるより先に、まず目の前に起きた出来事をそのまま受け入れる。そして理由を細かく詮索したりしようとはしない。おそらくこれは多くの昔話や神話で繰り返されるテーマなのだと思う。

 ここには「なんらかのルール」が存在しており、皆がそれを受け例れて暮らしている。けれどもルールを作ったのか誰か、どんな理由で作られたのかなどは解らない。そして意図がわからぬものであっても「ルール」を破れば何らかの報いを受ける。
 つまり彼ら(妖)は近代人のような論理的な思考をしないのである。私はここまで考えて、むしろ妖の思考は幼児や未開民族に近いのだと思った。



 ここまで書くと、すぐに「妖の思考というのは未熟な知性であって、成熟した現在人より劣るのではないか」というような事を言い出す人が出てくる。だが私はしたいのはそんな話ではなくむしろその逆である。

 私が「夏目友人帳」をみてちょっと感動したのは「彼ら(妖達)の起承転結(理由)が無くても良いのだ」というその自由さと大らかさについてである。そして、同時にいかに現在人は多くの理由(理屈)に縛られているだろうと思った。


 これを説明する為にあえて少しだけ話を飛躍させる。例えば「獣(動物)の思考」という物について考えてみたい。

 妖の思考と言うのはおそらく獣に近い。むしろ逆に獣が言葉を語れたならばきっと妖のような事を言いそうな気がする。

 では動物と人間の思考は何が一番違うのだろうか?

 私はその答えは「時間」だと思っている。地球上では人間だけが明確な時間の概念を持っている。これは一見なんでもないように思えるが、じつはこのちょっとした違いがとてつもなく大きな差異に繋がる。

 なぜならば時間を持つがゆえに、人は過去・現在・未来に自我を分断されている。そして過ぎた事に対する後悔や、まだ見ぬ未来に対して恐怖する。動物は人間ほど明確に過去と未来というような概念を持たない。彼らは常に目の前の現実に対して全力で取り組むのであって、手を抜いて余力を残そうなどとは考えない。そしてそうであるがゆえに後悔という概念も必然的に無いのだと思う。

 ちなみに今回のテーマである「妖」、あるいは神話に登場する神や悪魔というものは、基本的に永遠であって明確に寿命を持っていない。それはおそらく偶然ではなく、時間を持たない(あるいは縛られない)ゆえに、彼らは起承転結に縛られない存在となっているのだと思う。永遠という長い尺度で世界を見る者にとっては、世界は常に移ろいゆくものだからだ。

 私の考えでは人は時間を持つがゆえに論理を組み立てて文明を創り出した。だがその代償として後悔や恐怖に常に捕らわれる存在になった。過去・現在・未来に自我が分断されたがゆえに、より心は窮屈になり喜びも小さくなった。

 なので考えてみて欲しい、誰もが一度は「人間を辞めて動物になりたい」考えた事があるだろう。タカになって思う存分飛びたい、ライオンのごとく自由に平原を力の限り走りたい、クジラのように海の果てまでも泳ぎたい・・と。

 私も度々考えた事がある。もしも人間であるという制約(呪い)を捨てられたらどうなるかとか、獣のように生きられるヒーローにあこがれたりした。なので私は「人間の思考 > 妖(けもの)の思考」というような優劣関係があると考えるのは誤りだと思う。



 人間であるという制約(呪い)は多くの哲学者や宗教家などが取り組んできた永遠のテーマである。下記はあくまでも私見であるが・・・

・かつてキリストは唯一神(天国や地獄)という永遠をベースに人々に隣人愛を説いた。

・クリシュナムルティはその著書の中で分断された自我ではなく完全なる自我(例えば愛そのものに同化する)という境地があると説き、それが恐怖を克服する鍵であると述べた。

・いにしえの武人(伊藤一刀斎とか)が語った無の境地や無拍子という概念は時間という制約を超えて自由になる事を示唆している。


 おそらく多くの人がこの人間という制約(呪い)を超えようと、言葉や分野は違えど色々と語ってきたのだろう。例えばリチャードバックが書くのは、常に主人公(カモメのジョナサンなど)が自分の壁を乗り越える事を目指して足掻くストーリーである。私たちは人間的な思考を続けながらも、いつかは別のステージに上がる事ができるのではないかと夢想を続けている。これこそが人類の普遍的なテーマなのだろう・・・。



 おっと、どんどん話がデカくなって私の手に余るようになってきた。

 最後にだからどうだという話だけど、

 「私もいっそ妖になりたいな・・・」という話である。(だって楽しそうだもの)


<余談:密教戦線サンガース>
 私がよく思いだすヒーロー(獣のような生き方)は、漫画「密教戦線サンガース/笠原倫(1989年)」の主人公(W浅野)である。主人公は普段周囲にどうしようもない不良として腫物のように扱われているが、その行動にはまったく迷いや後悔がなくて本当に素晴らしい。自分自身に対してまったく嘘をつかないし葛藤など基本的にしない。
 そしてレイモンド・チャンドラーみたいなセリフを言うハードボイルドなキャラなのもいい。思ったままに怒るし行動するしだが、シンプルであるがゆえに肝心な時には間違えない。
 もう本当にこの作品は大好きで、マイナーなんだけど何かの拍子に復刻してヒットしたりしないかなと願っている。ちょっと古いけど次のような作品を連想するような渋い漫画なので、興味あれば是非一度読んでみてください。
・往年の日本ハードボイルドドラマ「探偵物語(松田優作)」「俺たちは天使だ(沖雅也)」
・映画「ブルースブラザース」

<参考>
密教戦線サンガース



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