2016年8月21日日曜日

貧困について今考えるべき事柄 ~貧困JKパッシングについて~

 貧困JKパッシングという不可思議な最近のニュースより色々と言いたいことが出てきたので少し書いてみる。

 この問題の経緯を簡単にまとめると、NHKで子供の貧困をテーマにした番組を報道したところ体験談を語った女子高生の記事を見たネット民の一部が、番組中に報道された女子高生の部屋や生活より「貧困とは言いがたい」「やらせではないか?」というパッシングが起きているという問題である。

 まず初めに言うが私はこのNHK番組を見てないし見る気もしないが、それでもこのパッシングが理性的ではなく、ネット民の一部が炎上ネタを作りたくて騒いでいるだけだという事だけは関連するネット記事から十分に推測できる。そして何故かここに片山さつき(国会議員)が便乗しているもいつもの炎上案件と同様である。
 ねつ造という言いがかりは根拠薄いという指摘は「不倒城」と同意見なのでそこはコメントを省略するとして、私は少し違う視点でこの問題について補足したいと思う。


 まず始めに、どうもパッシングしている人は全体的に貧困を体験したことがない、あるいは想像力が不足しているように思われる。彼らは貧困を単なる金銭的(物理的)な問題だけで論じているが、それがそもそもの誤解を生む原因である。本来は貧困という問題は金が無いというだけでは語れないものなのだ。


 貧困がもっともやっかいなのは、貧困者は長くその環境に追い込まれて心理的に余裕がないところである。心に余裕がないとそもそも人は落ち着いて考えて合理的に判断したり計画したりできない。そして将来に希望がないと、そもそもそんな事を考える気力が起きない。またそこまで落ち込んでいる時点で相当に負のメンタル状態なので、相談する人を見つける事も難しく、また周りに良い人もいない。

 例えば金持ちが破産してやり直そうとしているのと、生まれつき貧乏人が這い上がろうとするのは決して同じ条件とは言えない。金持ちは破産するまでの人脈・知識・経験よりやり直せるとポジティブに考える事は容易かもしれない。だが生まれついての貧乏人はどうか?
 良い人脈もなく知識や経験を得る機会も無く、長く社会に裏切られて踏みつけられた記憶をかかえてどうポジティブになれるというのか? ポジティブで前向けに行けと言うのは理想だが、まず普通の人間には無理だろう。

 これは鬱の問題やブラック企業の問題に似ている。弱っている人間は徐々に真綿で首を絞められるように追い詰められていき、気が付いた時には反抗する気力も力も奪われている。

 そもそも、心にまず余裕がないと、あるいは誰か信頼できる人の支えが無いと、独りで立ち上がれるほどに普通の人間は強くない。


 この記事に関連してTwitterで上手いコメントがあった。

貧困層とは、定期券を買うお金がなく、毎日普通の切符を買って通勤しているような人のことだ

 これは実に的を得た指摘である。例えば他にも似たような貧困の例がいくつかある。
・アパートを借りれずにネカフェで生活する
・自炊ができなくてコンビニ弁当にたよっている

 時々貧困層に対して自炊するぐらいの能の無い愚か者だ・・・的な揶揄をする者がいが、本当に貧しかったら自炊すらできなくても不思議ではない。例えば自炊を始めるにあたっての暗黙の前提が満たせないからだ。
・自炊する鍋や食器を買う金(初期投資)がない
・調味料を買う金(初期投資)がない
・貧乏暇なしで料理をする時間がない(例えば安いバイトを掛け持ちせざるを得ないとか)
・過酷な労働で生活が不規則で定型的に食事をする暇もない(ブラック業務に追われているとか)

 ちなみに自炊とか掃除とかそういうのは、あるい程度の心の余裕がないと現実にはなかなかできないだろう。追い詰められてボロボロになった人間からすれば自炊する気力なんて到底でなくて、むしろ安酒に浸るようになっても不思議ではない。



 ここでちょっと発想を逆にして考えてみたい。

 さきほど長々と私は貧困の問題は金だけではないと述べたが、逆に言うと単純に金をつぎ込むよりも、もう少し心理的なケアも含めた支援をする事が出来れば、もっと効果的な改善ができるのではないかと思う。例えばネカフェで暮らす人を定住できるように資金や知恵を援助したり、自炊する道具を貸したり、同じ悩みを抱える同士を探して結び付けたり・・・私は素人なのでこれはあくまでも単なる思い付きだが、もっと柔軟に支援できれば幾らかでも道は開けるのではないだろうか?

 そして、今回の問題をパッシングしているような人も、今回述べたような事を踏まえて貧困層の人達を見てあげるならば、おのずと問題の理解も解決も進むのではないだろうか?

 これはあくまでも可能性の話に過ぎない。だが貧困から脱出する人が増えれば、それは放っておいても知恵となって広まるだろうから、社会的にも良い効果を生むと思う。ひいては経済発展にもつながるだろう。

イソップ童話的に言えば、今この国に必要なのは「北風」ではなく「太陽」の方である。

 そう言った事も踏まえてこの問題をみて欲しい。そうすれば本当は何を問うべきかが解ってくるだろう。


<参考リンク>
子どもの貧困 学生たちみずからが現状訴える

NHKが貧困報道でねつ造をした、という件がちょっとよくわからない

NHK貧困報道の女子高生への批判に違和感

NHKの貧困女子高生特集(貧困JK)についてのネットの反応に思う。

片山さつき「NHKの貧困女子高生報道はおかしい。


<貧しき人達 ~1998年の備忘録~>
※これは1998年ごろに書いた自身のメモで今回のテーマで思いだした。読むとたいして世の中進歩してないのを感じる。

 怠け者の私はよくこんな空想をしたものだった。

『別に食うに困らなければいい。のんびりとピアノでも弾いて毎日を過ごせれば・・・と』

 だが冷静に考えるとこれはなかなか難しいことだ。まずピアノ自体がそう安いものでもない。それにピアノ置けるだけのスペースも必要となるし、仮にあったとしてものびのびと弾くためには一戸建てか防音設備の整った部屋が必要になる。
 しかしそうなると家賃も結構かかりそうだ、どうも現在の安月給では難しい。では転職してもっと稼ぎのいい仕事をみつけようか? だか稼ぎのいい仕事とい うのはだいたい殺人的に忙しいものだ。ヘタしたら月に何日も休めなくなるかも知れない・・・となるとピアノは購入できても、当初の“のんびり”という条件が 満たせなくなってしまう・・・これは簡単そうに見えて実は難しいテーマだ。

 クールな人ならば、ここまで読んで思わず“贅沢な事を言わずにエレキピアノでも購入してヘッドフォンでもすればいいじゃないか”と言うだろう。確かにそれはもっともらしく聞こえる。だけど私にすれば「それじゃぁ今とまったく変わらないじゃないか!?」となる。

 これが本題で『これこそが貧しである』。一見すると簡単に何でも手に入るように思えるが、実は何も持っていないのと同じなのだ。ようするに誤魔化しでしかないわけだ。
 いくら繕おうがイミテーションはイミテーションのままだし、一度すり替えてしまった物を取り戻すのはとても難しい。どうしても私には『のんびりピアノを 弾いて暮らす』よりも『高級外車を乗り回して暮らす』事の方が実現可能性が高いように思う。似たような事は他にも幾つもあるだろう。

 例えば私もいちおう都会生活者なのだが、たまに『腐ったような空気の悪さと、ノイズだらけのやかましさ』にウンザリする事がある。逆に考えれば都市というものは、ゴミみたいな空気や水や音の代償として、数々の娯楽を用意しなければならなかったという事だ。

 思えば物心ついた時から私はずっと貧しかった。物理的は豊かでもなかったがとりたてて不足しているというほどでもなかった。だが本当に必要だと思う物で 手には入ったと言い切れるものがひとつも無いのではないかと考えてしまう。

 それはゆっくりと考える時間であったり、食いたい時に食って寝たいときに寝ることだったり、イライラする事のない一日だったり、腹を抱えて笑う事だったりなどだ。

 だから「日本は豊かになった」だの「何でも簡単に手に入る時代」といったセリフをTVなんかで見ると“いったいどこが豊かなんだ?”とよく考えていた。 どっちかというとシラフで宴会に付き合わされているようで疲れる。本当はこの国はまだまだ貧しいのだろう。少なくともウィットを理解できるほどの心の豊かさはまだないようだ。


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