2016年8月13日土曜日

不信という日本に蔓延る病について

 たまたまTwitterで見かけた幾つかの記事で似通ったテーマに遭遇し色々と考えさせらる機会があった。なので今回は久しぶりに記事を書こうと思う。

 テーマは「対話者(聞き手)に対する信頼と敬意の欠如」である。ちなみに今回述べたい信頼というのは、聞き手である相手の「知性に対する信頼」という部分である。



 まずこの話題のきっかけは「ANAが乗客全員分の荷物を置いて北海道へ」というニュースだった。空港でベルトコンベアが故障し荷物が飛行機の離陸までに積み込めなかった。そこまでならば、まだ普通にある話だと思う。だが今回の出来事が特別なのはANAが搭乗客にはなんの連絡もなく、飛行機を飛ばして到着した先で初めて搭乗客に事後報告をしたという部分である。
 いちおうANAでは到着崎で搭乗客に個別対応として遅れて到着する予定の荷物を届けるよう対応を続けているらしい。

 このニュースで重要なのは、どうしてANAは事前に問題を説明せずに事後報告したのかという部分である。なぜあえて黙っていたのか(隠していたのか)。
 もしも事前に知っていたら搭乗をキャンセルした客がいたかもしれない。あるいは搭乗してもフライト中にどう行動するか検討ぐらいは出来ただろう。隠した事によるメリットは乗客側には全く無い。

 私はここにANA側の傲慢さがあると思う。それは相手の知性に対する信頼の欠如だ。私はANAは暗黙のうちに次のような発想でトラブル対応したのだと思う。

「お客は愚かで自分勝手な存在である。事前に説明すればパニックと怒りで騒ぐだけで収集が困難になる。ならばいっそ到着してから結果を説明しトラブルを別の対応チームに引き継ぐ方が合理的である・・・」

 いうまでもないが、これは著しく顧客を馬鹿にした考えであり、自分勝手な都合である。



 2つめのニュースは「嫌がられたり的はずれな質問をあえてするのも取材テクニック?」というもので、これは朝日記者の「記者は時に、嫌がられたり的外れに思えたりする質問をわざとぶつけて選手の本音を引きだそうとします。それもテクニックの一つ・・・」という言葉に対するネット上の反応だ。

 言った人物が朝日だったからかネトウヨ的な連中が感情的に反発しているのが多い気がするが、そもそも少しずれたオカシナ方向で議論になっているような感じで、ゆえに私にはこの記事も引っかかった。どっちもどっちな部分も多いが、あえて問題点を指摘するならば、記者のセリフには「相手に対する敬意」や「読者の知性に対する信頼」といった暗黙の了解が無かった事だと思う。ゆえに本題とはずれたコメントをして炎上に繋がった。

 本来ここで彼は「嫌がられるかどうかが問題ではなく質問すべき事はする。ただし相手への敬意を失わないやり方で行うべきである」というように述べるべきだった。重要なのは質問した記者の「フェアな姿勢」なのだが、彼はそれを安易な「テクニック論」にしてしまったので批判を浴びたのである。

 ちなみに別の記事で「海外メディアが内村選手に「失礼な質問」をしたって?いや、それは完全に逆です。」というのがあるが、私はこちらの記事に賛同する。質問した外人記者は内村氏の結果は素晴らしいゆえに、むしろその正当性を示す為にあえて質問したと考えるべきだし、質問の仕方も別に礼を失しているとは思わない。むしろ誰が相手でも聞くべきことは聞くというフェアな態度を評価するべきだったのだと思う。



 3つめのニュースは「東浩紀さんの鳥越俊太郎問題についてのつぶやき(20160812)」で、これは鳥越氏のインタビューに対する批判である。私はこのつぶやきを見ていて、ちょっと東氏の話からはずれるが、真に問題なのは野党側も鳥越氏も共に国民の知性を信頼しなかった事だと思った。

 彼らは国民の知性を信頼しなかった。だからこそ明確なプロセスも経ずに、安易にメディアの露出が多いだけの鳥越氏を選んでしまった。そして鳥越氏の発言も単に客寄せの軽口のような物ばかりになり人を引き付ける迫力が無かった。

 むしろ同じジャーナリストでも一貫して鋭い問題提起を行い続けている上杉氏や、あるいは市民目線での立場から政治をしようとしている宇都宮氏の方を選ぶべきだったと思う。そうであれば例え破れようが次があったと思う。少なくとも掲げようとしている旗は残っただろう。だが今回の東京都知事選挙では野党共闘は悲惨な大失敗に終わった。
 
 その上であえて述べるならば「鳥越氏のインタビュー」は最低の一言に尽きる。鳥越氏はむしろ今のダメな社会を作った側の人間だと思うのだが、まるでどこか他所の国の話を聞くようにその言葉は重さを持たないからだ。



 そろそろまとめに入るが、この一見すると関係ない記事が私には同じテーマとして見えてしまう。それは「相手の知性に対する信頼への欠如」である。平たく言うと「相手の事をアホだと思っている」「相手の尊厳を軽んじている」といった態度が陰に隠れているという事だ。

 私にはこれがいま日本に蔓延している病のように思える。その症状は至る所に見え隠れしている。

・メディアは読者の知性を信頼しない
・政治家は国民の選択を信頼しない
・企業は顧客の評価を信頼しない
・採用担当は大学教育を信頼しない
・教師は生徒の感性を信頼しない
・生徒は教師の能力を信頼しない

・・・等、あらゆる所に不信がはびこっている。

 だがおかしな事にこれだけ誰も信頼していない社会なのに、政府だの東大だの大手企業だ全国紙だのといった物からの情報を無批判に受け入れる人が大半なのだ。

 いたるところに権威という安物のラベルが蔓延している。彼らだって本音は決して信頼していないのかもしれない。だが考えるのも面倒なのでその他大勢に合わせているのだろう。

 ではそういった者たちが作り出した社会とは、まさにシェイクスピア的な悲劇(あるいは喜劇)の世界ではないだろうか?

「今は末世だ、気違いが目くらの手を引く」(リア王より)

 私はこの病が、特に日本には強く蔓延っていて文化的にも経済的にも色んな面でこの国を衰退させているような気がする。おそらくこの病は「新自由主義」とは相性がよく、また「恥の文化」はこの病に対する免疫が無いからだろう。


 最後にこの病に対する処方箋を書いて終わる。この病は生活習慣病であり特効薬はない。だが次のような態度や習慣は予防や治療に役立つのではないかと思う。

・つねに自分の頭で考えること

・他者の尊厳を自分と同様に重んじること

・無知を知り、己の知らぬ理由が世界に溢れているのを理解すること


<参考>
ANAが乗客全員分の荷物を置いて北海道へ

嫌がられたり的はずれな質問をあえてするのも取材テクニック?朝日記者のツイート炎上

海外メディアが内村選手に「失礼な質問」をしたって?いや、それは完全に逆です。

東浩紀さんの鳥越俊太郎問題についてのつぶやき(20160812)

「ペンの力って今、ダメじゃん。だから選挙で訴えた」鳥越俊太郎氏

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