2016年3月19日土曜日

「かもめのジョナサン(完成版)/リチャード・バック」を読んで

 実のところ、私はこの本に対して特に思い入れもなく、バックの読者としては一応目を通すかぐらいのつもりだった。なので少しビールが飲みたいなと思って居酒屋に入った際にも、暇つぶしに本を開いただけだった。だが少し読み始めると想定外に引き込まれて、ついには本編だけではなく後書きまで一気に読破してしまった。ちなみにこの間に生中×2杯を消費する。

 それぐらい素晴らしかったし久々に小説で感銘を受けた。本来ならば酔った勢いで是非とも他の読者と飲みながら語り合いたいと思った・・・のだが、独りで飲んでいただけなのでそうもいかず、ゆえにこのブログを書く事にしたわけである。


 ちなみにまず、かもめのジョナサンの「完成版」とはどういう意味かと言うと、もともとカモメのジョナサンは全3章(Part One,Two,Three)しかなかったが、今回はPart Fourという4章が追加されたのが違いである。

 バックによると元々ジョナサンの物語は4章構成だったが、過去に書いたときは自分で書いた4章目がどうしても納得できなくて封印してしまったらしい。だが近年過去の原稿を見つけて読み返した結果、改めて4章を加えて完成としたという事である。なので完成版というのは再アレンジ版といったものではなく、むしろ秘密の物語の続編のような部分がある。

 この内容についてはネタバレになるので詳しくは語らないが、私は4章ができて良かったと思っている。そしてこの新たな章はまさに現在の私たちの社会を風刺しているように感じる。
 ゆえに読み返したバックはこの部分を付け足したのだろう。そして本当の意味で小説は完成した。だが物語そのものは終わりなく続いているような気がする。少なくとも私の想像の世界では主人公(ジョナサン)が飛び続ける姿が瞼に浮かぶ。


 だがそう言いつつも一つ告白したい点がある。私はリチャード・バック小説のファンだが「かもめのジョナサン」はあまり好きではなかった。好きなのは「イリュージョン」という小説の方で、こちらは数えられないくらいに何度も読み返した。

 しかし「かもめのジョナサン」は読んではいるものの、全かい読んだ際(まだ若かった時)は特に面白いと思わなかった。何かもう一つピンとこないというか、妙に説教臭いというか、どうも共感できなかった。

 だが改めて読み直すと、昔はあれほどしっくりこなかった話がすんなりと受け入れられる。これは自分自身に対しての驚きである。

 孤立する事を恐れず飛ぶ練習をするジョナサンの姿、自分の限界とは何かという問いかけ、そして過去に自分を追放した仲間への許しと、飛ぶ楽しさを教える仲間達への愛など・・・今ならば理解できる気がする。

 思えばジョナサンと同様に私自身多くの経験を積んで成長してきたという事かもしれない。小説と同様に理想と挫折を繰り返してきたし、自分の限界について悩みもし、終わりのない問いかけを続けている。この本は実は若者向きというより、ある程度年を経てから読むほうが向いているのかもしれない。

 そして新たに加わった4章には意味がある。私はこの章があってこその完成だと思う。4章はジョナサン達が立ち去った後の話だが、そこで残された者たちの堕落といった部分がテーマになる、これはおそらくリチャード・バックがもっとも現在社会に対して懸念していた部分だろうし、その続きが他の小説「イリュージョン」に繋がるテーマとなる。

 もしもこのブログの読者が「かもめのジョナサン(完成版)」を読んだならば、続けて「イリュージョン」も読むことを勧める。そこにはリチャード・バックが何度も取り上げる「真の自由(解放)」という問いかけが描かれている。

<参考>
かもめのジョナサン(完成版)


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