2013年1月27日日曜日

経済学者を信じるな!!(その3)何が正しい政策なのか?

 以前は別段、政治や経済政策などに興味はなかったのだが、TPPなどの問題をみるにつけて色々と私も考えるようになった。その問いは「そもそも、何が正しい経済政策なのか?」という事につきるのだが、これは当初考えていたよりも難しい課題なのだとしばらくして気がついた。ようするに色んな知識人が述べている事はほとんどバラバラであまりまとまった意見がないという事だ。

 これは日本の経済政策を見ると解りやすいのだが、緊縮財政なのか公共事業の投資なのか、円高なのか円安なのかとか、結論どころかあんまりまとまった意見(納得できそうな説明)すらほとんどない状況だ。私はこういうのを見ていて、ついに一つの結論に達した。
 「つまりは、誰もちゃんと解ってないんだ」

 あるいは深読みすると、一般人を煙にまいて一部利権者が甘い汁を吸う。その為に、多くの知識人は愚かな振りをしているのだと見る事もできる。おそらくは中にはそういう人もいるだろう。だが、それを差し引いても、やっぱいみんな良くわかってないのだと思う。
 そもそも解っていたら、EUやアメリカだって簡単に経済復活できているだろうし、おそらくは誰も解っていないのだろうと思う。以前にジョージ・ソロスは書籍で「金融工学は科学とはよべないデタラメなものだ」と言っていたが、現在の経済学そのものが、私から見るとデタラメに見える。

 現状では肩書きの立派な学者が、金利の上げ下げだので経済をコントロールできるかのように言っているが、そろそろ全員がこんな馬鹿話に付き合うのを止めるべきだと私は思う。経済学者がいうのは、賃金をもっと安く、イノベーションだ、金利だ・・・と色々な事をいうが、彼らはもっとも根源的な事を口にだしていない。

 もっと常識的にシンプルに考えれば、日本が経済成長しないこの状態は次のようにまず解釈するべきだ。
・需要がない。(十分に物が出回っている)
・成長がない。(GDPが上がった所で豊かにならない事をみんな知っている)
・金利の上げ下げ。(一般人にはどうでも良い。投資家だけの内輪の話だ)

 政府がやっているのは、既得権益である輸出産業や金融関係への利益を中心とした政策であり、GDPという国民からするとどうでもいい基準での政策ばかりだ。本当に国民が望んだ政策を実施している分けではない。
 大多数の国民が望んでいるのは一攫千金の金儲けではなく、安定した暮らしと未来である。40年前にあって今にない最大の物は、未来に対する信頼や希望である。希望がないから、多くの者は身近なものにしがみつくだろう。5年後にまだ飯が食えるかどうか解らないような、不安定社会で消費が向上するわけがない。またそれなりに豊かな物質があるので、そもそもたいした需要がない。

 経済学者しかり、金利の上げ下げだの小難しい理屈を話すまえに、彼らはもっと謙虚にシンプルにこの現状の問題を見るべきだと思う。問題なのは政治や金利などではなく、もっと大きな社会システムの課題だ。現在のバブルを繰り返し、常に経済破綻に怯えながら、バランスシートをごまかすようね政策や言い訳に終始しているこの世界の状況はあきらかに不自然であり、我々システム屋からすると、あきらかに設計ミスした世界であることは確かなのだから。


2013年1月20日日曜日

経済学者を信じるな!!(その2)グローバル化の到達点

 今回はグローバル化は必然なのか、そして何が問題なのかという事について考えてみたい。

1)そもそもグローバル化とは何か
 Wikipediaを見ると、グローバル化(グローバリゼーション)とは、

 「社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。」

 というように説明されている。もともとの語源としては、大航海時代から始まる世界交流のながれに経済的なつながりを指すという事のようだ。だが私が問題視してブログで記載している「グローバル化」というのは、東西冷戦後の多国籍企業が力を持ち、金融資本主義による投機マネーが実態経済を超えて世の中を動かすようになった現象を合わせた物という意図でこの言葉を使っている。あるいは「グローバル資本主義」という方がより適切なのかもしれない。

 だが社会および文化的問題としてとらえるならば、現状は「国民国家」VS「グローバル資本主義」というべき状況で、これらの状況をひっくるめて言うと「グローバル化」という言い方の方がしっくりする。


2)国民国家 VS グローバル資本主義
 数年前までは、私もあんまり深く考えずに「グローバル化」は必然だ、これからは「イノベーション」によって経済を活発化させるべきだなどと思っていた。だが3.11の原発事故とそのあとのTPP論争などを考えるつけて、これは駄目だと思うようになった。だが同時にグローバル化という言葉だけが一人歩きするこの流れの大きさについては、絶望的にすらなるようになった。

 それは「現在の社会を動かしているのは誰か?」という問いに対して、結局は巨大資本家、多国籍企業だという事に行き着いたからだ。3.11以降の原子力に対する欺瞞や巨大な問題、そして被災地復興よりも優先視されていたTPPなどと鑑みて、つくづく一般国民の声はもうどこにも届かなくなったのだなと思うようになった。つまり、誰も一般国民の意思を代弁する者がいないという事に決定的に気付かされた経験だった。

 「政府」は起業家や投資家に支配され「メディア」「司法」「学会」も同様だ。一般国民の利益を代弁する者はほとんどない。唯一それが可能なのは「インターネット」の世界であるが、そこも利権による支配化が進み始めており、油断はできない状況にある。

 私は3.11以降で「原子力」の問題について考えるようになり、それにまつわる記事などを色々と見て回っていたが、「原子力」はまさに利権の塊であり資本の力に支配された世界である。それはつまりは、資本家以外の声を届ける代弁者が無くなったという事を意味していた。その代表がグローバル企業を動かす巨大資本家達である。
 結局のところ、現在の多くの先進諸国を支配しているのは国民の意思ではなく、巨大資本家によって流され続けているメッセージなのだ。主役は既に国民ではなくなったというのは言い過ぎかもしれないが、ずっと「国民国家 VS グローバル資本主義」という戦いが繰り広げられており、私の見たてではグローバル資本主義にずっと軍配が上がっている。

3)グローバル化の問題とは何か?
 この問題は色々な所で論じられているが、シックリくる説明をみた事はあまりない。そして大抵の議論がうまく行っていないのは、グローバル化を経済だけの問題と考えて、損得だけで論じようとしているかだ。しかし私に言わせれば、グローバル化の問題は経済というよりは、むしろ世界のあり方などの文化的/社会的な問題として考えるべき事である。
 だから問題を解りやすくする為に、次のような思考実験形式でこのテーマについて考えてみたい。それは「グローバル化が究極に進んだ世界とはどのようなものか?」と問う事である。この事によって果たしてグローバル化とは何を目指しているのかが明確になってくる。

<グローバル化が究極に進んだ世界とは>
 グローバル資本主義が目指す世界像とは、私の独断と偏見も交えた意見として言えば「商売をするのに最適な世界」という事になる。具体的には下記のポイントを目指す世界の事だ。

・統一されたプラットフォーム
 法律や商業ルールが同じである。極限までに無駄が省かれた世界。

・国境が存在しない事
 物品が自由に行き来可能な事。これは労働者についても同様である。

・ルールを決めるのは資本
 発言権は資本によって定まる。正義は利益にありといったところだろう。

 自由にどこでも制約なしに金儲けがしやすい世界というのは、つまりは上記3つを満たした状態だ。そしてその帰結として次のような事が必然的に起こる。

・国家は不要となる
・文化的、宗教的な差異も不要

 これはあるいは、よく描かれる近未来の理想郷として見えるかもしれない。だが私はこのような世界というのは、多様性を失った貧しい世界だと考えている。

 私は3.11の原発問題を考えるにつけて、結果的に何が一番問題なのかというと「持続可能な社会ではない」という事に尽きると考えるようになった。つまり現在の社会というのは、近視眼的な利益やしがらみを優先し、課題をどんどん未来に積み残す(あるいは未来を先取りして食い尽くす)あやうい社会だという事だ。

 そして同時に「ではどのような社会が持続可能なのか?」という問いについて考えるようになった。これはとても難しい問いであり、この考えを進めるに至るヒントは自然界および過去の人間の歴史にしかない。中でも自然界のモデルについて考えるようになった。

 そこで導きだされるキーワードが次のようなポイントだ。
・多様性に満ちた世界
・変化の速度よりも、無駄をも含んだ実験的な世界

 思えば生物進化というのは、気の長い時間をかけた実験によるゆるやかな変化の積み重ねである。最適をめざさず、多様性を維持しているから、バランスが壊れても自動調整をするような安定した系を築けるのだ。これは現在の何度もバブル崩壊でピンチを迎える資本社会とはまさに対照的である。

4)結論
 上記のような考えを経て、私は結論として「いかにすれば多様性のある安定した持続可能な社会を構築できるか」という事を考えるようになった。そして同時にグローバル化とは進化の必然ではなく、むしろ進化の袋小路になりかねないものだと思うようになった。

 だが現在のメディアでは安易にグローバル化を進める声が多い。TPPについての議論がまさに示している。TPPは農業だけの問題ではない、これは国家主権や文化のあり方に対する重大の問題である。だがメディはそれを伝えない。そしてそれらの伝道師が多くの「経済学者」である。
 学者の仕事は本来は、色々な可能性を追求する事で、だれかに道を押し付けることではない。故に私は「経済学者を信用するな」と言い続けているのである。

<参考>
・国民国家とグローバル資本主義について
 http://blog.tatsuru.com/2012/12/19_1126.php


2013年1月16日水曜日

経済学者を信じるな!!(その1)

「経済学者を信じるな」

 最近はなんだかこの言葉が自分の合い言葉にでもなったように、時折頭に浮かんでくる。この想いを具体的に説明するのは困難だ。何度かこのブログではTPPとグローバル化に対して記事をかいてはきたが、それでもまだうまく説明できていない気がする。だから、初心に戻って私自身の頭の中身を整理しながら、もう一度この言葉の示す意味を書こうと思う。

 まずこの言葉に至る経緯を書こう。私はソフトウェア開発や設計に関わるものだが、元々は政治などにはあまり関心もなく、また投資だの経済なのにもほとんど関心はなかった。だがもともと科学技術などは好きだし、社会をシステム論としてどう見るかという点においては多少の興味はあった。

 その私がグローバル化や金融資本主義について考え、現在の主流を占めているこれらの潮流に対して、「やっぱりこれはオカシイのではないか」とか、「この現状はシステム設計として考えればバグに等しく、誤った状態なのではないか」と考えるに至ったのは、3.11の東北大震災および原発事故後における日本の不合理さを目の当たりにしたからだ。

 今回のテーマは原発ではないので、あまり詳しくこの問題について語らないが、原発事故とその後の政府やメディアの対応には私は強い衝撃を受けた。
 何よりも驚いたのは、あれだけの事故があっても、それでも原発を継続しよう、問題をごまかそうと考えている人々が多数あって、それにメディアも、また多くの人も追従している事である。私はそれらのメカニズムを理解しようと苦心したが、結果的にはあきらめて途方に暮れてしまった。
 簡単なたとえで言えば、パチンコで大損した人が、それでもパチンコ止められずに適当な理屈こねてやっているとでもいうような、理性的に考えればどうにもメリットがなく、また近い将来的には手ひどい破綻が解りきっている事にしがみつく人々が、権力層、知識人層も含めて多数いるという事には本当に驚かされた。(正直言えば、ここまで日本人がバカだとは思ってなかった・・・)

 そう言った不条理、例として原発であれば、どう考えても経済的な合理性がないはずなのにそれを進める愚行を目にしてから、やっぱり色んな事柄をもっと自分の頭で考えないといけないなと痛感させられた。そしてこの問題に目を向けると、どうしても近代の経済的な思想、TPPに代表されるグローバル化というものと、金融資本主義というものを避けては問題は考えられないと思うようになった。

 そして新自由主義を気取ったエリートの愚行ともいうべき現状について考えるようになった。私は科学者ではないので、イメージ的な説明になってしまうが、現在のグローバル化や金融資本主義が支配する社会は、ウロボロスの蛇のように自分自身の尾を食らうように見える。何度も世界経済を破綻させ、そして近々大破綻させる事が目の前にせまっても、彼らは反省もしないしゲームを止めようともしない。パチンコ中毒のジャンキーよりもたちが悪く、レートを上げる事しか彼らの頭にはないようだ。

 それらを冷静に考えた際に、今流行のグローバル化などで競争に慌てて参加してもみくちゃにされるより、そもそもこのゲームが妥当なのかゴールがあるかをシステムレベルで考え直すべきなのではないかと思うようになった。

 だがこの問題を説明するのはとても難しいことだ。理由はそもそも私が経済学者でも専門家でもないこと。そして現在は新自由主義者ばかりで、グローバル化以外の方法論を探そうとするものや示す学者がほとんどいない事がある。もしも経済学という言語でこれらを説明しようとすれば、これらの問題を指摘するのは困難だろう。
 では、なぜ私はこれに異論を挟むのかといえば、私は経済学的な視点ではなく、むしろシステム論や自然界における生物界と比較する事によってである。

 例えばグローバル化の究極の到達点というものを仮定して想像してみよう。私が推測するに、それは下記の状態へ辿り着くと思われる。
・世界中の国境がなくなる事
・言語や法律、社会ルールが統一される事
・文化的な差異が地域によってほとんどない事

 金融資本主義および経済最優先思想のグローバル化がゆきつく究極は、世界は統一されたプラットフォームとなり、商売をするのに最適な世界である事だ。そしてその障害となるような差異(例えば宗教、言語、文化)といったものは、巧みに弱められ、やがては消滅の危機に瀕するだろうと思う。
 
 これが彼らの示す未来の世界像である。無意識もしくは意識的に現在進められている進化の到達点はこの状態である。だからグローバル化が第一などと考える人はまずこの状態を想像して欲しい。この世界を良しとするならば、グローバル化もいいだろう。もちろんここに至るのは究極で困難な道のりである。そして経済危機を何度もおこしていることからも、ゴールに辿り着けるかどうかも不明である。あるいは何度か世界を滅ぼすだけのトラブルを引き起こした上で、到達できる極めて困難な道かもしれない。

 そして私はこの未来に対して「NO」である。それは経済がどうの豊かさがどうのという問題ではない。私は自然界の多様性に満ちた世界はある意味、非効率であっても理想的なシステム構造だと考えている。その考えからすれば、上記の究極の世界というのは、多様性が消失して、停滞した駄目なゴールにしか見えない。至れる可能性も少なければ、また継続可能性を持つ未来にも思えない。

 ゆえに私はグローバル化が示すような単純化された閉じられた未来図には反逆すべきと考える。これは経済の問題ではなく、文化や社会システム論としてとらえるべき問題だ。だから、私の目には「経済学者」は中世期に十字軍を率いて大量の無駄な血をながさせた宣教師達のごとく不毛でいかがわしい連中に見えてしまう。言葉足らずで自分でも歯がゆいが、これが私が経済学者を信じるなという理由である。


2013年1月13日日曜日

体罰顧問の問題は「体罰」にあるのではない


 大阪市立桜宮高校の男子バスケットボール部主将が自殺した問題で、部顧問教師の体罰についてのニュースが最近では話題となっているが、どうもメディアに取り上げられる議論がまたおかしな方向へ進んでいるような気がするので私も考えを整理する為にコメントしておく。

 まず生徒が自殺した原因は「体罰」によるという論調が多く、また各種の意見も体罰を容認/否認というような視点で書かれてるものを多く見かける。でも、もう少しこの部分の本質を考えて欲しい。

 私が考えるに生徒が自殺をしたのは、「体罰」による肉体的な痛みではなく、どこへも逃げ道がなくなって追いつめられた「精神的な絶望感」によるものである。だから問題は「体罰」の有無ではなく、いったいどのように生徒を追いつめていったのかという、学校社会や周りの人間によるコミュニケーションを調べて考えるべきである。

 なぜならば、仮にこの問題により学校で「体罰」が禁止されてゼロになったとする。ならば問題を起こした部門講師は体罰ではなく、代わりの問題へ生徒を脅迫するだろうと考えられるからだ。暴力を使わなくても人間を追いつめる方法は幾つでもある、教師と生徒の関係ならば、内申書で脅すとか、あるいはチームメイトに迷惑をかけるとか、両親や関係者を失望させるとか、いくらでも方法はある。
 そして私的な見解を言えば、こうやって言葉で脅される方が「体罰」などというものよりは、はるかにキツイ。だから問題は暴力部分よりも、むしろ生徒を脅して追いつめてゆくコミュニケーションにある。今回の問題では教師は「体罰+言葉による追いこみ」をかけ続けていたわけで、一歩誤れば相手を精神的においつめて崩壊させるような危うい関係だったのだと思う。

 ちなみにこの問題は内田樹の著書「呪いの時代」に、呪いのコミュニケーションとして書かれているものと同じである。大まかな抜粋であるが呪いのコミュニケーションとは何かを説明すると・・・
 例えば両親が子供に、おまえの為を思っているから厳しくする、お前に為にこうした、ああした、と言い続けるようなコミュニケーションの仕方である。こういう関係は学校でも会社でもよく見かけるものだ。ではどこが問題になるのかと言えば、「お前の為だ」という言葉で相手を支配し従属させようと縛り付ける所にある。そしてこの方法は旧日本帝国軍やナチス的な独裁世界で相手を縛りつけて従属させるのと、基本的には同じ手段である。
 ちなみに縛ろうとする側は、本当に善意からくる場合もあれば、ブラック企業的に戦略して行っているものまでさまざまであり、実際には善意からくるかどうかなどは良くわからない。実際には単に自身の支配欲を満足させる為に、相手を縛り付けている人も多く、それでも自分自身では善意からの行為であると勘違いしている例がある。だからこの問題は善意の有無では量れない。この問題について考える人は、この点を考慮して欲しい。

 なお私自身の意見としては、元巨人の「桑田」氏と同じで体罰は基本的に不要と考えている。例えばちょっと平手打ちを加えるぐらいを厳密にNGとするかなど細かい部分はいいのだが、体罰が無いと優秀な生徒を育てられないというのは馬鹿げた誤解である。
 そもそも一流の人間というのは定型の押しつけや強要では作れない。体罰的な強要と押しつけで作れるのは所詮は二流・三流の人間である。しかも高校生のように言葉で会話する能力がすでにあり、自分で考える事が出来るまでに育った人間に対して、体罰で縛ろうというのはコミュニケーションとしては「下」の手段だと思う。

 またこの問題を通じて思い出したのは、日本の自殺率が先進国のなかではずばぬけて高いという問題だ。今回の体罰の問題でネットの記事やニュースなどの反応を見て解ったのは、特に日本は「呪いのコミュニケーション」が多いという事だ。相手を支配する、縛らないといけないという、強迫観念がどうも日本社会では多いようだ。それは学校でも社会でも家庭でもあり、それが人を追いつめて死へと追いやっているのだと考えられる。
 

2013年1月6日日曜日

未来予測2013 ~私的予言録~


 何処かのブログで毎年恒例で未来予測を書いているという話を聞いて、これは面白いなあと思った。未来予測という言葉は大げさかもしれないが別に当たらなかったとしても、これは当時の自分の考えを知る非常に良い記録となる。だから私も大外れして笑われる事になる事を恐れずに思ったまま、なるべく大胆に書いてみる事にする。

1)世界及び日本の動向
 どうも私的には全体としてあまり良いイメージが想像できない。具体的には5年〜10年ぐらいのスパンで第三次金融危機とでも云うべき事態になると思う。現状では日本、アメリカ、ヨーロッパ、中国も含めて、先進諸国や大国で健全に成長できるような状態にはないと考えているからだ。
 これは各国個別の事情もあるが、おおきくは現在のグローバル化した金融経済の機能的な問題に起因する。私はずっと現在の金融至上主義的なシステムはうまくいかず、唯一可能性があるとすればそこから脱出することだと思っている。だが先進国でそれをやる動きはなく、ようやくヨーロッパでは金融を制御しようとする微かな動きが見え始めた程度である。よってあと10年ぐらいは改善されないだろうと思う。(あるいは世界恐慌的な事態が起こらない限りは変わらないと思う) だから紛争などの軍事衝突になる事態が起き無いことを祈るのみだと考えている。

2)日本の状況
 自民党の政治は失敗するだろう。何故ならば彼らは結局なにも学習していないし、少なくとも現在の問題が分かっていないと思われるからだ。私は今年の選挙の争点は下記だと考えていた。
 ・TPP反対
 ・原発停止、福島原発事故の収束
 ・消費税の増税禁止
 ・も一つつけるならば、福祉と社会保障の考え方を整理

 だからこれらのどれもまともに議論されず、自民党と維新が表を伸ばしたのは最悪だった。しかしこれらの上記の問題はすべて、一つの問いに集約される。

『国民国家の役割を放棄するのか、はたして国家をグローバル企業に売り渡しても良いのか ?』

 これはどの先進諸国でも共通の課題である。このどちらを私達は選択すべきかを迫られている。ちなみに私は国民国家を選ぶ、だから上記の4つのテーマをあげたのだ。国民国家は万能でもなく最上の手段ではないのかもしれない、だがグローバル化の行き過ぎはあまりにも問題が多すぎて世界そのものを壊す可能性がある。
 だが自民党や維新の政治は、グローバル化に単純に追従するだけのものでしかない。目先の利益追求に最適化する事が将来的に益になるとは限らないのだが、グローバル企業はとにかく直近の利益を最優先するものだから、そんな道理は通用しないし、一般国民の生活などを気にはしてくれない。結果としては世界中が貧しくなる結論しかないとおもうのだが、世界はその方向へ進んでいると思うし、日本はほとんどまともな議論もなしに追従しようとしている。

3)中国、アジア、軍事
 2012年の選挙で自民が勝利したのは、安倍総理の右寄り姿勢が評価されたという意見もあるが、正直言って私はアジアと軍事については、いちばん読めない部分で、もう一つ具体的なイメージが湧かない。だが、あえて大胆予測をするとすれば、10年ぐらいで中国の社会システムが壊れてなんらかの大きな変化を産むような気がする。だがそれが、さらなる独裁強化的な政治となるのか、複数国家に分裂するような状態になるのかはよく解らない。なおそのような状況で、おそらくアメリカにはアジアを軍事的に押さえるような力はないし、押さえる気も無くなっていると思う。
 ちなみに安部政権になって9条廃止で核武装という話がでていうが、これはおそらく無理だと思う。9条廃止は可能だ。だが核武装は普通に考えるとアメリカが許さない。物事の順序からするとまず日本がアメリカから全面的に独立をかちとるのが先なのだが、そんな事を真面目に選択肢として考えている政治家はいないように思う。(もちろん安倍総理も考えてないだろう)
 だから結果的には、日本の存在感はアメリカのプレゼンスが低下するのに合わせてどんどん落ちてゆき、フィリピンとか他のアジアがまとまってそれなりの発言権や主導を取る法が可能性あるような気がする。

4)原発および放射能汚染問題
 放射能汚染の問題はおそらくあと5年ほどで大問題になるだろう。福島近辺から甲状腺ガンなどの問題が顕在化すると思うし、東京などの汚染度が高い地位域などでも無視できないレベルの問題が出るだろう。そして、この問題が大きくなればリアルに遷都しようという話がまた出てくるかもしれない。
 あと大きな懸念なのは福島原発をうまく解体もしくは安全な状態まで移行できるかどうかだ。忘れっぽいメディアは報道しないが、福島原発はもう一度大地震などの災害や、解体にミスなどが発生すると致命的な大事故を発生させる可能性がある。この問題は意図的に過小評価されていると思うが、もっとも大きな懸念だ。
 ソビエトを崩壊させたのはチェルノブイリだという言葉もあるが、この問題はそれぐらい大きな問題で国家存亡を左右しかねる課題である。だがこの点については、運にも左右されるので予測のしようもない。日本政府が真剣に取り組んでくれるのを祈るのみである。


 とまあ、こんな具合に私が考える大きな問題について予測を書いてみた。もちょっと年初は明るい話題できればいいのだが、政治やメディアの劣化具合を見ていると、あまり明るい展望は見えない。