2012年2月5日日曜日

世界をひとりじめしようする試みについて

 最近ふと思った事がある。「もしも著作権という物が世界をひとりじめしようとする試みならば、それはもはや時代遅れなのだろうと」

 こんな事を考えるきっかけになったのは、最近ちょっと話題になった「ウィキペディアのスト」の記事からだ。現在、アメリカで提出された「オンライン海賊行為防止法案(SOPA)」についてウィキペデイアは反対表明をする為に、1日ストとしてこの法案についての記事以外は全て表示できなくなった。この法案は現在のネットのあり方を大きく変える可能性があり、アメリカでは大きな議論となっている。
 
 では「オンライン海賊行為防止法案(SOPA)」とは何かというと、これはアメリカで提示された著作権保護を目的としたネット規制法案のことである。これが話題となったのは、法案の過激とも言える厳しさの為で、もしも原案どおりであれば、著作権に触れるデータが閲覧できるサイトがあった場合、そのサイトに対するネット接続を直ちに禁止できるという所まで踏み込んでいるからだ。技術的にはDNSサーバ上でサイトアドレスを変換できなくしようというものだが、これが実現するとどのような事がおこるかというと、違反サイトはGoogleなどのサーチエンジンでは検索できなくなり、実質ネット上では存在しないようになってしまう。
 例えば分かりやすい例をあげると、Yutubeで違法動画があった場合、その動画だけではなく、Yutubeそのものが見えなくなる(Googleで検索しても出なくなる)というような事が起こる。だからYutube, Twitter, Facebook, Googleなどのネット上で自由なサービスを提供している企業およびネットを利用するユーザに対して大きな影響があり、今のネット文化の根底をゆるがしかねない問題だとして議論になっている。

 なおこの問題は色んな角度から考える事ができる。例えば、次のようなものだ。

   * デジタルコンテンツの著作権をそもそもどう保護すれば良いのか? というそもそもの課題。
   * Yutube, Twitter, Facebook,などの新メディアと、映画会社、新聞社などの旧メディアの利権争い
   * ネット上における自由な情報公開という理念や流れに対する逆行
 私の意見を簡単に述べると、私はもちろんこの法案には反対である。理由はこの規制法案の権限が大きすぎて、これでは30年前に時計の針をさかのぼらせるような無謀な行為だからだ。また著作権侵害ひとつでサイトを殺せるならば、これは巨大な情報統制装置として悪用される可能性がある。

 だがこの問題について、私はふと「そもそもデジタルコピーの時代に「著作権」にしがみつづけるという発想が、既に時代遅れなのではないか」という根本的な疑問について考えるようになった。

 例えば私がネットでよく使うのはニコニコ動画で、最新のボーカロイド楽曲を聞いている。ネット+動画+ボーカロイドというものが出来たおかげで、いまや個人が作ったユニークな作品をだれもが視聴して楽しめるようになった。最近ではメジャーレーベルが出す音楽よりも、ボーカロイドなどを使った個人の自作曲の方が面白くて、そっちを聞く事の方が多くなったぐらいである。
 これらの作品は著作権はあるものの、基本的に個人で楽しむ限りにおいては特に制約されていない。だからこそ発展して広がっている。いつのまにか初音ミクが世界中に配信されるようなったぐらいだ。自由であるということ、制約が少ないということは、文化が発展する為には不可欠な条件である。
 
 その代表が音楽であって、いまや才能とアイディアさえあれば個人が楽曲を世界中に届ける事ができる。これはとても素晴らしい事だ。しかし逆に言えば、個人でこれだけの事ができるので音楽業界や仕事としてお金儲けをする事はとても難しい時代になったとも言える。なんせCDを買わなくても、ネットでだいたいの曲を探せるし、レーベルが無くても良い音楽を聴く事ができる。
 なのでネットで好きな個人の音楽家をどうやって支援すればよいのか、あるいはプロのミュージシャンで好きな作家をどう支援すればよいのだろうかと考えるた事があった。作品そのものが直接お金に結びつきにくくなったなかで、はたしてどうやって優れた作家を支援すればいいのだろう?

 結局のところ、私が思いついたのは「募金」だった。CDや動画に金を払わなくても、自分が支援した優れた作家には募金してお金を直接届ければいい。大金にはならないかもしれないが、それでもネットで楽曲が広がる事を考えれば、結構なお金を集める事が出来ると思う。

 これは原始的で乱暴な考えに見えるかもしれない。しかし近代になる前の音楽家や芸術家というのはある意味こういった存在だった。例えば中世の音楽家(モーツアルトなど)には必ず貴族のスポンサーがついていたし、そういったスポンサーが無い者達は大道芸や流しみたいな感じで歌いながら諸国を巡っていたのだろう。日本でも古い時代の民衆の音楽家は決して地位が高かったわけではなく、河原ものと呼ばれていた時代があった。むしろ現在のように芸術で大金が動くというのは本来は不自然なものなのかもしれない。

 そしてもう一つ思ったのが、そもそも「著作権」というのはなんだったのかという根本の話だ。私の解釈では、これは本来は優れたアイディアや作品を作る事、本来はあまり力を持たないアーティストを保護するのが理念だったと理解している。だが現在は、著作権や特許権などの権利が直接お金に結びついて世の中を歪めてしまっているようにも思う。
 その代表的な事例が「遺伝子に対して特許申請をすること」である。例えば人間のDNA解析結果で特許を申請し、それを用いた医療に対して高額な特許代を上乗せするような事が行われている。だがそもそも人間の遺伝子は私達誰もがもっているものであり、同様に自然界のDNAや元素ももともと等しくこの世にあるものだ。なのにそれを特許として、だれかが占有したり独り占めしようというのはそもそもおかしいのではないだろうか?
 
 本来は作家(力ない者達)を守ろう、優れたアイディアを大事にしようという理念が著作権という考え方だったはずなのだが、今では巨大企業がそれを盾に世界を縛ろうとしして歪めている事の方がむしろ目につく。だから悪い見方をすれば、現在の著作権や特許権というものは、まるで「世界をひとりじめしようとする試み」に見えてしまう。そしてこう感じるようになった背景として、世の中が以前とは大きく変わったのだという事がある。例えば次のような点だ。

   * 世界が狭くなり、開拓して新たにパイを得る時代から、決められたパイをみんなで分け合う時代になった。(エネルギーなど)
   * ネットが広がって世界を一つに結ぶようになった。結果として世界は今では深く依存し合っている。(特に金融などは)
   * 結ばれた世界では、全体の利益を考えないと、結果として自身の利益を維持する事が難しくなってきた
 だから著作権のように個人、1企業、1国家という単位で利益をひとりじめすれば良いという考えは、いろいろな局面で現実的にそぐわなくなりつつある。もはや世界はひとりじめ出来るような物ではなくなって、お互いにシェアしたりフォローし合わなければ成立できないような小さなものとして、考え方そのものも変える必要があるのだと思う。そして、ようやく世界をシェアするという視点にたった、ルールを作り出す時代が到来したのだと思う。


<参考リンク>
・ウィキペディアなどがストを計画 著作権侵害防止法案に抗議
 http://www.cnn.co.jp/tech/30005299.html
・ゲノム解析と特許、遺伝子情報は誰のもの?
 http://www.anlyznews.com/2010/09/blog-post_03.html