2011年12月17日土曜日

アイドル(偶像)≠ボーカロイド

初音ミクに代表されるようなボーカロイド(略してボカロ)が果たして現実世界でどの程度市民権があるのかわからないが、私自身は去年の末ぐらいからか、ボカロ楽曲にはまっって定期的に新譜をチェックするのが習慣になっている。

ちなみにボーカロイドというのを知らない人にために私流の解釈で説明すると、ボーカロイドとは歌う機械(ソフトウェア)であり、シンセサイザーで人間の声をシュミレーションしたものである。日本語でかいたテキストに、音符を割り当てて抑揚をつけると、人間のように歌わせることができる。つまりは音楽ソフトであり、楽器の一種だともいえる。そしてこの楽器の音色にあたる声が色々とあって、代表的なものが「初音ミク」というソフトウェア製品である。


だが面白いことに、単なる機械(ソフトウェア)だったボーカロイドは「初音ミク」というキャラクターを持った製品が発売されると、その位置づけや意味が大きく変わる事になった。ちょうどニコニコ動画が出始めたころであり、ネットを見ている色んなユーザーが思い思いにボーカロイドを使った楽曲を動画としてアップするようになり、それによって初音ミクというキャラクターが知名度を増すと同時に、キャラクターとしても生き生きとした形で肉づけられてゆき、まるで多くの者達の思念をとりこんだ、まさにアイドル(偶像)というべき物に進化したのである。

私は音楽好きなので、単純にボカロ楽曲は面白くて聞いているのだが、それでもこのアイドル化した「初音ミク」という現象は音楽以外でも何かわくわくするというか、興味を引かれるというか、ものすごい可能性や新たな方法論となりえるような何かを感じる。それと同時にpefumeやAKB48みたいな生身の人間が演じるアイドルというものと比較して、アイドルとはそもそも何だったのだろうなどとよく考えるようになった。そういった話が参考としてリンクしたが「初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」でも語られている。この記事を読んで、つまり「アイドルとは、多くの者達の思念を集める器」なのだなという事にようやく気がついた。
つまり、実在するアイドル(例えばAKB48)のように人格や歴史を持った存在であれば、その情報は固定化していて空想する余地は少ない。だが初音ミクのように元々は何も無いところから存在したキャラクターについては、見る者が隙間を想像力で埋めてゆく。例えば、言いそうな事とか、やりそうな事とか、何が好きだとか、どんな服が似合うだとか、空であるがゆえにどんどん想像力で作られてゆくのである。

私はどうも昔からアイドルだのタレントだの芸能人だのというものにはどうしても興味が持てない方だった。だからあまりTVも見ないし、芸能人の名前もほとんど覚えられない。むしろこのような凡庸なCM受けだけを考えてキャラクターを生み出す事に、なんの意味があるのだろうと思っていた。ゆえに「初音ミク」のように、肉体も人格も無いはずの空っぽの器に、それも空の器であるがゆえに、よりいっそう人々の思念を集めてアイドル化してゆくというのは、とても興味深い。むしろこれこそが、まさに「アイドル(偶像)」の本質なのではないかと思う。

長い人類史のなかで多くの偶像崇拝があってそれが延々と現在にいたるわけだが、今まではそれは動かぬ石像であったり、誰かが演じた者であったりした。だが現在では「初音ミク」のように姿と言葉を持った空の器が作られるようになった。そしてネットを通じてより多くの思念が集まり、電気の速度で情報が世界を駆け巡るようになった。今まで無かった多くの条件が揃いつつある事に対して、私は空恐ろしさを感じると同時に少しワクワクもする。

近代になって生活レベルが向上したおかげで、人々は必ずしも群れて暮らす必要はなくなった。個人主義が浸透しプライベートである事を尊ぶようになった。だが同時にその反動で、孤独を埋める為に多くの者達が思念を受け止めれくれる空の器を求めているのかもしれない。そして進化したテクノロジーによって、今までになかった新たな器がやがて創造されるのだろう。ゆえに私はこのボーカロイドという現象が、いずれどこに辿り着こうとするのかを見続けたいと思う。

<追伸>
ボカロ楽曲は面白い。ボカロを聞き出してから、逆にだんだんと普通のJ-POPをあまり聞かなくなった。理由は解っていて、J-POPの方がつまらないからだ。何故かというと、現在の音楽業界は分業化しており、1つの曲をつくるにも、アレンジや演奏などが多くのパートに分かれて下請けに流れるような仕組みになっているという。つまり、色々なアーティストのいろんな曲を聴いても、それらはどこかで同じ職人が音を作って、アレンジした、同じスタジオで同じ音職人が作った・・・というように、まあ結局は同じ会社の製品をずっと見ているようなものなのだ。
もっとぶっちゃけていうと、「松屋」で食べる食事は、どのメニューを選んでも松屋である、みたいな感じでJ-POPは聞いていて必ず飽きる。(結局のところ、味付けはみんな同じだからね) それに比べてボカロ作品は一人の人間が作詞+作曲+アレンジ+音選びなども含めて全部をやってしまう事も多い。だからこそ、個性的であって聞いていて面白いのである。だから次のように言う事もできる。
「ボーカロイドは音楽ではなく、音楽業界に対して革命をおこした」

<参考>
・初音ミク文化論「身体性なきボーカロイドの跳躍」
http://www.fleet-sound.com/blog/2010/11/26-054802.html
・VOCALOID(ボーカロイド)の歴史を紐解いてみる – スタートはDTMだった
http://vocalofree.com/history/vocaloid_dtm/