2011年6月25日土曜日

人命軽視の国

  • 人命軽視の国
  • 思考停止した指導者
  • 過去に縋りつく大人
  • 活かされない歴史
  • 核という麻薬
  • 被爆と置き去りの人々
  • 過労死と自殺
  • たらい回しされる妊婦
  • 縛り合う人達 ... etc
 日本に暮らす私は、ときおり幾つもの異なる世界に属しているような奇妙な現実感にとらわれる。TVで流れる豊かさのイメージ、マスコミが報じるいつもと変わらぬゴシップ、ネットで流れる不安や怒りの声、そして身近で目にするいつもと変わらぬ人達。
 そして、Eisberg氏の「縛り合う日本社会」というブログを見たときに、共感と同時に今まで頭の隅に引っ掛かっていた、いろんな物事も合わせて思い出した。

 3.11に始まった災害は、この国の欺瞞と脆さを、次々と明らかにしていった。極め付きは福島原発事故であり、広がり続ける放射能汚染の問題に対して、国家は事実上無視を続けている。そして主要マスコミは沈黙し、表向きはいつもと同じ日常が続く。

 私は今までこのブログで何度も原発事故についての考えや疑問を書いてきた。だが、いまだに良く解らない部分が多い。それらは技術的な問題ではなくて、どうして国家存続を左右するような大問題に対して、冷静な議論をしないのか、現実から目をそむけて被害を拡大させ続けているかについてだ。

 もちろん幾つも理由は考えられるし、多くの説明やコメントを今までみた。利権であり、権力であり、政治家の資質であり、経済や失業の問題など・・・etc。しかし、それら多くの見解を聞いても、どうしても納得はできずにいた。これらは別に間違っているわけではない、だが、まだ本質をとらえられていないように思えた。

 その中でようやく一つの大きなキーワードだと思ったのは「人命軽視の国(文化)」という言葉だ。

 原子力の問題についてはTwitterや多くのブログを読んだ。その中には、経済や失業を危惧して「原子力推進はやむなし」「現状を維持するしかない」といった意見も多くあった。そして常に大きな違和感を感じてきた。多くの無名の人々を見捨てて、将来確実に発生する多くの病気や遺伝疾患や死を棚上げして、経済が維持可能であるという考えることが理解できなかった。

 これはいったい何なのだろうか、そして辿り着いたのが「人命軽視の国(文化)」というキーワードである。このブログの最初に列挙した幾つかのキーワード、それらの中心にあるのが、この「人命軽視の文化」であり、個人や人格を尊重(尊敬)しないという、この国の特徴である。

 この国の政府や人々は、基本的に人命を軽視し、個人を尊重していない、そして自分自身をも尊重しない。

 表立って意見を言わず、他人の意見を聞かず、陰で愚痴を囁き合う。為政者は多くの人命を天秤にかけた愚策を、やむを得ないのだとして実施する。細かい荒探しに終始し、小細工に執着し、本質を問おうとしない。責任を取らず、他者の痛みを想像できず、自分の殻に閉じこもる。つまり、日本はこういった国だ。


 少し前に「この世は理屈では動かない」の中で、自分で考えようとしない集団は愚かであると書いた。いまこそ、それが必要な時なのだと思う。結果が正しいか、間違っているかにかかわらず、自分で考えなければいけない。

 今の状況は太平洋戦争時代に似ている。私はその時代の歴史について知るたびに、将校たちの愚かすぎる幼稚な戦略に怒りを感じた。何故、彼らはそれだけの愚かな戦略や指示を行ったかと言えば、徹底した人命軽視によるものだ。そして今の政府も同様の過ちを犯している。この国は歴史から学ばなかったばかりか、未来に対する想像力もない。

 
 最後に「核」について少し話をしたい。原発事故の問題は「核」というキーワードを抜きにしては理解できない。原子力は経済的にはメリットが無く、いざ事故がおこれば国家を転覆させるだけのリスクを持つ。「チェルノブイリハード」の記事で私も驚いたが、ベラルーシでは健康な子供が生まれる確率は2割程度しかない。放射能は半減期の長い物質が多いので、世界規模で放射能は加算されて広まってゆく、SFではなく数世代を経てゆくうちに人類の存続も危ぶまれるようになるかもしれない。

 それでも「原子力=核」を求める声は強い。これは巨大な力の象徴への憧れだからだろう。少し前に石原都知事が「核さえあれば・・・」的なコメントをして話題となっていたが、こういった考え方は私にはもう理屈を超えた「宗教的」(言い方が悪ければカルト的)とでもしかいいようのないものだと思う。

 まるで「博士の異常な愛情」みたいな話だが、仮に日本中の原子炉やもんじゅを破壊して放射能をまき散らせば、映画にある「ドゥームズデイ・デバイス(皆殺し装置)」と同様の効果が出せるのではないだろうか。世界を道連れに自殺できるだけの核を持ちながら、核兵器にこだわり続ける、石原都知事に代表される政治家達は滑稽でさえある。 

<参考>
・縛り合う日本社会 - Eisbergの日記

・「チェルノブイリ・ハート」8月公開/健康な赤ちゃんはたった15~20% - 地球市民点描・麻川 明(黙雷) - Yahoo!ブログ

・映画 博士の異常な愛情 - allcinema

2011年6月18日土曜日

Twitterと「反原発と反・反原発」

 ところで「反原発と反・反原発」だが、両方を目にして思うのが、そもそも議論噛み合ってないな・・・ということだ。Twitterの短い文面では議論はそもそも無理があるところだが、やはり前提にしている情報や考え方が違いの原因となっているようだ。

<反・反原発派の主な意見>
  • 反原発派は電力と経済の重要さが解ってない
  • デモに参加しているのは経済弱者が多く、自分の首を絞めているのではないか
  • デモに参加しているのは左翼などの怪しい団体ばかりじゃないのか
  • 火力発電などの方が環境を痛めるし、コストもかかるのではないか
 いちおうひとつだけ反論したいのは「無知な人間が反原発をやっている」というような誤解である。逆にメディアはずっと原発推進だったので、反原発を唱える人達はむしろ独自に情報を集めた、情報通が多いようだ。(例えば海外記事をよく見ているとか)

 しかし概ねこのような意見が多い。注目すべきは「反・反原発派」はあまり放射能汚染に対するコメントが少ない。あまり重視していないのか、それとも情報をあまり持ってないのかは解らない。だが「放射能汚染についての見解」で立場が大きく分かれているのだと思う。今までの議論や主要メディアの問題などもあって、正確な情報に基づく議論は難しいのだが、本来は次のような観点で議論をするべきなのだろう。

<現状の課題>
  1. 汚染地域に住む人達を、どうやって健康被害から救うか、もしくは移住させるべきか
  2. 現在日本で進行中の放射能汚染、及び各地に拡散しつつある汚染された廃棄物、食材をどうするか
  3. 放射能汚染によって経済がどのようにダメージをうけるか
  4. 電力を安定供給するにはどうするべきか、原子力を続けるべきか
  5. 原子力村と呼ばれる巨大利権をどうするか、政治やメディアは機能しているのか
  6. 世界に与えた放射能汚染に対して、今後どう責任をとるのか
 前にも書いた事があるのだが、私自身はもともと原発は必要悪とおもっていたし、これだけ巨大な放射能汚染のリスクがあるとは知らなかった。そして3.11から初めて自分で色々と調べていって非常にショックを受けた。だから反・反原発派もできれば自分で情報を調べて考えて欲しいと思う。それに放射能汚染の問題については、イデオロギーに関係なく全ての人が被害を受けるので、まずはこの問題から解決をしてほしいと思う。(急務を要するのは上記1~2の課題である)

 原発を続けるかどうかが議論の余地があるかもしれないが、少なくとも放射能汚染には議論の余地がない。被害は広がりつつあるし、政府はずっと軽視及び無視を決め込んでいるようなので、放置すれば近い将来は国が無くなるかどうかの問題へとつながるだろう。
 

<余談>
 「チェルノブイリハート」という映画の話題だが、チェルノブイリ近くで酷い汚染となったベラルーシでは健康な子供が生まれる確率は15~20%だという。私はこの映画を見てないので詳しく話せないが、これは驚異的な数字である。チェルノブイリで被爆した人が2世代、3世代と進むうちにこうなったのだと思うが・・・恐ろしいのはもう数世代たてば健康な子供がほぼ産まれなくなるのではないか? という疑問が頭をよぎったからだ。

 考えれば過去には世界中の核ミサイルは人類を数回絶滅させられるといったが、1機の福島型原発では年間に1000発程度の放射性廃棄物を作るといわれている。核ミサイルよりも本来は危険で脅威となる代物だったのではないかと私は考えている。

 放射能は種類によるが何万年も経ないと無くならない。しかし20~30年に一回世界のどこかで原発が事故を起こせば、その都度世界は汚染されていく、それも常に加算で汚染されるのだ。だから、もしもこのような想定をコンピュータでシュミレーションすれば、数十年後~200年程度の期間で、人類滅亡という結果を出すかもしれない。

 「いよいよ後がないな、人類」


<参考>
・縛り合う日本社会 - Eisbergの日記
・「チェルノブイリ・ハート」8月公開/健康な赤ちゃんはたった15~20% - 地球市民点描・麻川 明(黙雷) - Yahoo!ブログ

2011年6月11日土曜日

まだまだ事実を知らない人達へ

 6.11は全国同時と銘打って脱原発デモが行われた。私も大阪は実際に見てきて、動画中継で新宿の様子を少しみた。新宿は夜になってもどんどん人が集まってきて盛り上がっているようだ。東京では誰も放射能の話をしたがらない、と聞いた事もあったので少し意外だった。でも東京が置かれている現状から考えれば、ようやく危機感が出始めたのかもしれない。

 そしてTwitterを見ていたのだが、いくつか反原発デモに対して批判的な意見を見かけた。それを見て「まだこんな事言っている人いるんだ」とか「多分実際の情報を持ってないのだな」とか色々と考えさせられた。ちなみに3.11前だったら私も似たようなコメントしていたかもしれないというのもある。幾つかを抜粋してピックアップすると、概ね次のような内容のTweetだ。(補足:原文そのままではなく、私がまとめたものを記載)
  1. 原発止めて火力を動かすと、火力の追加費用で電気代があがる。経済へ影響が懸念だ。
  2. 脱原発はいいが、今やったら中小は首を吊る。
  3. 脱原発デモをTVで見たが、旧左翼系? 胡散臭い人が多くいる
  4. 原発反対の人は電気使わないのか?
  5. いまさら原発が危険だからってデモするものどうか
  6. 反原発デモは煽っている奴がいる。日本人がここまで集まるとは裏を感じる
  7. 脱原発の運動よりも、日々の生活をどうするかの議論をするべき。文化的な生活を放棄する決心あるのか?
 これを見て、なるほどそう考える人もいるのかと思った。私が普段フォローしているのは反原発の人が大部分なので、こういった一般の意見を見るのは久しぶりだったりする。ちなみに、もしも3.11前だったら私も似たような事をTweetしたかもしれない。それに、これらのコメントは別に間違っているわけでもない。ごくごく普通の人の正直な意見だと思う。私も別にこれらのコメントに対して批判をしたいわけではない。それでは私が何故これらをテーマとして挙げたかというと、共通して一つの事を感じたからである。

 「これらのコメントには共通して危機感がない。彼らはおそらく、今日と同じように明日も続くと信じているのだろう」

 ゆえに私は、彼らはおそらく今起こっている事実をまだ良く解ってないのだろうと思う。確かにコメントにあるように、デモの中には胡散臭く感じる連中もいるし、いまさらとか、電気止められるのかと色々ある。しかりリアルに命がけで電力が欲しい奴などいないだろう。それに電気=原子力というわけでもない。だから以前にブログで書いた「そろそろ本当の話をしないか?」「備忘録「福島事故における最悪のシナリオ」」と重なるところもあるが、改めてリアルな今の状況について語りたい。


 私は少し前に、福島事故についてレポートをしているジャーナリストから話を聞ける機会があった。話を聞けた事で良かったのは、今まで私が考えていたイメージがほぼ正しいと確信を持てたことだ。同時に政府側での裏ネタ的な話と、東京方面での話も聞くことができた。だから以前より確信を持って話すが、現在の日本の状況はかなり厳しい。

1)福島原発の解決見込み
 現状なんら解決の目途なし。安定冷却が何年かかるか不明。チェルノブイリのように石棺化まで考えれば10年以上かかるといわれている。救いなのは爆発などによる急激な悪化は当面さけられそう。(無いとも言い切れないが年内ぐらいは少なくとも大丈夫だろう・・・) だからある程度放射線は漏れ続けているし、これから海へ大量に汚染水が漏れる可能性もまだある。

 一番の懸念は現場作業員が長期の事故対応に疲弊して持たなくなるということだ。普通ならとっくに逃げてもおかしくない所で彼らは働いている。被爆限度を守るならば、人間はいくらいても足りない。(10分で年間作業限度まで被爆するような環境だ) 交代するような要員の確保はとても難しく、本当に人がいなくなれば、それこそ戦時の徴兵みたいな形ででも人を集めないといけない。
 
 ちなみに福島事故の評価だが、これだけの災害でも、私はまだ運が良かったのだと思っている。事故の状況などを色々な情報集めると、水蒸気爆発などで圧力容器が大きく破損しなかったのはラッキーだとおもう。ちょっとボタンの掛け違いがあれば今の数倍の被害となっただろう。


2)福島以外の原発についての危険性
 福島事故についての報告は二転三転しているが、津波がなくても地震だけでアウトだったというのが正解だろう。だから津波対策をすれば他の原発は大丈夫というのは、たんなる言い訳だ。日本は地震の活動期に入った可能性もあり、今後も大地震が起こる可能性はある。そして大地震がくれば(想定内でも)福島レベルの事故になる可能性はある。

 ちなみに電力会社や原子力保安院、政府などが安全というレベルが、気休め程度だというのは十分にみんなも理解しているだろう。


3)放射能汚染の状況
 汚染状況についていえば、私がもともと想像していたよりも状況が悪い。東京でさえ安全とは言えない。微粒子となって大気中を舞っていると考えられる放射性物質による内部被害のリスクはかなり高い。内部被爆については過去に「外部被爆/内部被爆と放射線基準値について」に書いたので詳細は省くが、地区に依存するかもしれないが東京でも健康被害が出始めているのを理解するべきだ。喉が痛い、鼻血が出る、持病が悪化した、体調が悪くなったなどは、健康被害の可能性もある。 

 食べ物についても静岡のお茶が最近話題になったが、水産物、海藻なども含めて全て汚染が懸念される。ちなみに政府も官僚も情報隠しに力を入れて、肝心の放射能汚染物質の管理についてはまともに機能していない。最近聞いたエピソードでは大阪でも、学校の給食センターで福島産の食材を使おうとしていたらしい。この件は知人が申し立てて止めさせようとしているが、同様のことが知らぬうちにあちこちで起きているだろう。

 さらに放射能汚染した泥からセメントを作って普通に流通してたりするなど、放射能汚染物質は気がつかないうちに各地へ紛れこんでいるようだ。


4)政治の状況
 現状では改善する見込みなし。もしも大連立になったら、さらに原発推進へと傾くのではないかという恐れもある。現在の政権は情報隠ぺいする以外はまともに仕事をしていないので、数年後に気がつけば日本中が汚染されて、各地で健康被害がでる可能性もある。つまりは「まったく反省も危機感ももってない」という事だけは言える。


 いろいろと書いたが、要するに何が言いたいかと言うと、

「電力がどうたらとか、経済がどうたらとか、言っている場合じゃない」ということだ。

 内部被爆して病人になったら、経済とか電気とかの話どころではない。もしも、あと1回でも福島レベルの事故がどこかで起きたら、日本は完全に終わる。経済的に壊滅するのもあるが、それ以前に住める場所がなくなるだろう。

 TVや新聞などの主要メディアは政府と同じで福島事故を過小評価している。本当はマスコミにちゃんと仕事をして欲しいが、これまでの経緯から考えれば、彼らが正しい意見をいうのはおそらく最後になるだろう。

 そもそも福島事故で3.12に1号機が最初の水素爆発を起こしたあたりで少し天秤が傾いたら、いまの数倍の事故となって日本は終わっていた。だから本来は今の日本で原発を稼働させようということが狂気そのものだ。私が反原発を言うのは、なったらいいなというレベルではなく、そうしないと高い確率で日本という国家そのものが、なんらかの形で壊滅してゆくと考えているからだ。

 何度も同じような事を書いてきたが、今の日本では「今日と同じように明日が続く」という保証はなくなりつつある。だからこそ今までの考え方も含めて、全ての日本人はいったん頭をリセットして考えてもらえる事を願う。

2011年6月10日金曜日

6.11 脱原発同時デモに向けて

 明日6.11は日本各地で脱原発の同時デモが行われる。主要メディアではあまり取り上げられないかもしれない、だがそれぞれがこの事実を知っておくべきだろう。私はデモに参加する予定はない、でもデモの情景を自分の目でみて確かめておきたいと思う。同様にデモに参加しなくても、まずはこの現実を知るために、多くの人がこれらを見るべきだろう。

 明日デモに参加するのか、明後日からどう考えて行動するかは各自の自由だ。何かするも良し、何もしないのもいいだろう。どちらにしろ一つだけ伝えておきたい事がある。

 「この国は既にデッドゾーンに踏み込んでおり、近い将来に各自の決断や行動が自身の生命を直接左右する可能性があるという事だ」

 3.11以降、この国のあり方を私なりに検証してきたつもりだが、私自身にはどうしても希望の持てる未来は想像できないでいる。だが半分世捨て人のように暮らす私には、デモに参加したり、多くの人を煽ってデモに参加させたりする事はできない。故に、ただありのまま事実と思うことだけを語る事にする。

 もしも私が、これからどうすればよいかと若者に聞かれたら、迷わずこの国を捨ててどこか他の国で暮らせというだろう。それぐらい、ここには希望が見当たらない。


 だが誤解しないで欲しいのは、私がここに希望がないと述べるのは、この国を襲った災害の大きさのせいではない。災いに対して、世間を誤魔化し、自分を誤魔化し、考える事を止めた人間があまりにも多いと感じるからだ。それは各自の責任ではなく、平和である程度うまくいくような時代が続き過ぎたせいかもしれないし、あるいは教育とか文化とか歴史とか、他にも色々と理由をつける事ができるかもしれない。

 しかし、いかなる理由や経緯があろうが、目の前に突き付けられた現実は変わらない。故に、どうにかしたいならば、文句を言う前に、誰かが何かをしてくれるのを待つ前に、自ら行動しなければいけない。知識がないならば知識を求めるべきだ。生命を守りたいならば逃げるか防御するべきだ。納得いかないならば抗うべきだ。

 本来当たり前のことだが、自分の命や尊厳は自分自身で守らなければならない所にきている。故に各自それぞれが自分自身で判断して行動して欲しいと思う。

 もしも日本人というのが、これから先の歴史上でも残ってゆくというならば、明日は何かが起こるきっかけになるだろう。


<参考>
・6.11 脱原発100万人アクション | -Action June 11: No Nuclear Power-

・「捨てられた日本国民」 政府は本当のことは教えない。 国民がパニックになるから、だって 

2011年6月5日日曜日

被爆リスクについての誤解

 放射能汚染、被爆についてのリスクは、発ガン率として語られる事が多い。例えば子供に20mSv/年の基準を押し付ける事は、発ガンリスクを200人に1人まで引き上げたものだという記事があった。(ちなみに大人は1/500、PSRのアイラ・ヘルファンド博士)

 正直に言うと、私はこの1/200という発ガンリスクが妥当なのかどうか解らない。個人的にはもっと多いような気がする。だがこの点については意見が最も別れる部分であり、また信頼できるデータも少ない。だから、1/100なのか1/300なのか、それが何年以内を指しているかは私には結論が出ていない。

 だが今回話したいのは、この発ガンリスクについてではない。話をしたいのは「被爆で起こるのは発ガンだけではない」という事である。

 世間での被害見積もりを見ていて、いつも引っかかり、またどうも誤解が多いような気がする部分だ。下記の2つの説明を比較して欲しい。
  • A)健康被害は、200人に1人がガンになる。
  • B)健康被害は、ほほ全員に及び、200人に1人がガンになる。
 どうも世間では上記A)の論調で語られる事が多いようにおもう。だが実際にはB)が正しくて、健康被害は全員に起こって、なおかつ最悪はガンに至るというのが本来の正しい認識なのだと思う。

 これは単に言葉のあやではなく、重要な意味を持つ。

 ネット上のインタビューや説明会の動画で「矢ヶ崎克馬」「野呂美加」両氏の話を見たおかげで、私もだいぶイメージができた。野呂美加氏はチェルノブイリで実際にボランティアをしていたので、現地で実際に子供の被害を見てきたのでかなりリアルな話があった。まとめると次のようになる。

<健康被害:チェルノブイリの子供より>
  • 基礎体力がない、とても疲れやすい。集中力がなく、学校の授業も休憩を普通より多く挟んで実施している。
  • 抵抗力がないので病気にかかりやすい。
  • 胃腸が弱くて、あまり食べられない。
  • 老化が早い。
  • 成長障害、知能がうまく発達しないなど・・・etc
 上記のような普通の健康障害があり、なおかつさらに致命的な症状としてガンになるのだ。さらにDNA損傷が原因による、世代にわたっての奇形や障害の遺伝という問題も考えられるが、正直私もこの世代を超えての問題は想像できない。(考える気力がおきない・・・)

 どうも世間ではこの普通に考えられる健康リスクがあまり語られてないようだ。ちなみ最近東京近辺や各地で良くきく、急性の鼻血といったものは、チェルノブィリでも起きた被爆の初期症状らしい。健康な人間にはあまりないが、もともと少し身体が弱いとか、持病がある人にどうやら多いようだ。
(もう少し色々と情報を集めたかったが、なかなかネットを探しても情報が拡散していてうまく見つけられなかった)

 どうしてこのような健康被害が起きるかだが、内部被爆について解ってくると理解できる。

 もともと放射線は自然界にもあり、放射線はDNAを損傷する。だが生物は進化の過程で、DNAをあるていど修復する能力を獲得しており、また放射性物質も体内へ蓄積するのではなく、排出する能力も多少はある。

 だが人口の放射性物質は、それまで自然界にないので生物はそれを体内に取り込んでうまく排出できない。これが内部被爆の状態だが、内部被爆がおこると至近で放射線を浴びるので、細胞のDNAが常に破壊されつづける状態となる。このために体内で壊れたDNAや細胞を修復しようとつづけるわけだが、これは人体に多大な負荷をかける。

 結果引き起こされるのは免疫の低下であり、全体的な体力の低下や成長の阻害などだ。老化が早いというのは、こういった結果起こるのだろう。

 だから何度も指摘するが、運が悪い人間がガンで死ぬのではない。全員が健康被害になるのだ。もしも体力が衰えたら色々な障害になって出てくるだろう。放射線に対する有効は対策は「健康で抵抗力を維持する」「内部被爆しない」の2点が基本となる。

 くれぐれも、安易に運が良ければなんともない、などと考えないことだ。


<参考>
・今中哲二/低線量放射線被曝とその発ガンリスク

・ノーベル賞受賞の米医師団体「子どもの許容被曝量高すぎる」

・依然として最大の脅威は内部被曝のリスク/矢ヶ崎克馬氏(琉球大学名誉教授)

・野呂美加さんの講演会① 

2011年6月4日土曜日

この世は理屈では動かない

●はじめに
 ここしばらく原発事故についてのブログやTweetをしてきた。しかし現実は改善される見込みもなく、時間と共に私自身が実情がさらに解らなくなってきた。当初は政府やマスコミ+αに対しての、批判記事のようなものを書いてきたが、それもだんだんマンネリだと感じるようになった。考えが袋小路にさしかかり、もうこの問題について考えるのを止めようかと思う事もあった。

 2011/06/02のTweetはその事について思いつくままにだらだらと書いたものだ。直感的に書いた文章だが、後からみると幾つかは議論すべきテーマを含んでいるように思う。そこで今回はちょっと視点を変えて、下記のテーマについて考えをまとめてみる事にした。
  • この世は理屈では動かない、人は必ずしも合理的な選択をしない
  • 集団は時には、最も愚かな選択をする
 今の日本で多く目にする上記の現実は何を意味するのか? 民主主義というのは、暗黙のうちに「各自はそれぞれ合理的な行動を取る」という前提の上に成り立つ。だが現実世界(今)では、まさにこの前提が崩れた状況となっている。この事について今回は考えてみた。


●合理的ではない事例
 まず私が合理的ではないと考える具体的な事例について記載する。個々については内容もレベルも経緯も異なる。もっと詳細をキャラクターにまで還元すれば、なんらかのもっと具体的な理由があるかもしれない。だがおそらく全てが理由で説明できないだろうと思う。それらを記載する。

1)放射能被害を隠ぺいし、サボタージュを続ける内閣と官僚
 彼らの行動をすべて利権であると単純に説明できないと私は考えている。本人は概ね老人だからあとと30年程度現状が保てればよいだろう。(そもそも現状を保てるという甘い見通しが合理的でないと思うが) だが彼らにも子孫や家族がいるはずだ。この汚染状況を放置して、この国を壊滅的な状況へ追い込むのは、ちょっと長期的に考えれば合理的だとはいえない。
 もしも彼らが密かに財産を海外へ移転し、家族も全て海外へと逃がしているならば全て理屈は通る。だが全員がそこまで考えたうえで行動をしているとは思えない。

2)隠ぺいに加担するマスメディア
 彼らは既得権益を守ろうと行動しているのだろう。だがはっきり言って、マスメディア(特にTVと新聞)などは本来衰退メディアである。放置していても本来は、徐々に影響力を失って、やがては「デッドメディア」になってゆくだろう。本来ならば彼らも新しい方策を見つけて乗り換えるべきである。死に体の電力利権に頼っている場合ではないだろう。

3)リアル風評被害「現実逃避へのスケープゴート 得体のしれない原発風評差別」の事例
 私は過去に「風評被害と情報隠ぺいの境に」という記事を書いたが、これはリンクに示しているが本当の風評被害(というか妄想)の事例である。どの程度、同様の問題が現実に起こっているのかは解らない。だが幾つかTweetやブログでも見かけた事はあるので、少なくもないのだろう。都民が福島県民に文句を言うのはまったく意味がない。これらは単に愚かしいという説明だけで十分なのだろうか。

4)逃げない被災民
 私は福島県民は全て他の地域(いっそ九州ぐらい)へ逃げて欲しいと思っている。金銭問題で逃げられない人を別にして、本当は逃げられるはずなのに逃げない人も多いのではないか。現状を分析すれば福島県にとどまるメリットは無いと私は考える。

 上記は全て最近のニュースを元に例を挙げてみた。だがもしも自分の身の回りを見渡せば、不合理な決断や行動を強いる会社や上司など、至る所で同様の事例を見つけるだろう。


●どうして合理的に行動しないのか
 以前にジョージ・ソロスの著書(ソロスの講義録)を読んだ事がある。ソロスは金融工学は間違っており科学とは呼べない代物と批判しているが、理由は「そもそも各自が合理的に行動して取引が行われる」という前提など現実に成立しないという点だった。これはまさに私が考えていたのと同じ指摘である。

 そして最近面白い記事を見つけたのが「意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果」である。詳細はリンクを見て貰えばよいが、結論をまとめると次のようになる。
  • A)最初に他者の意見を教えたなかった集団は、各自銘々が達した結論を束ねると、概ね正しかった。
  • B)最初に他者の意見を教えた集団は、    各自銘々が達した結論を束ねると、A)に比べて正解が低かった。
 ようするに、自分で考える人達の集まりは良い結論を出す。しかし、誰かの意見を聞いて自分主体で考えない集まりは間違う事が多いという事だ。とてもシンプルな答えで、これを実験で証明したというのはとても興味深い事だ。とても当たり前の事だが、でも現実には忘れ去られているのではないだろうか。

 そして合わせて思い出すのは「第二次大戦時の日本軍の行動」である。現在でも悪名高い大本営発表だが、インパール作戦、大戦艦へのこだりだの、後から考えれば不合理の塊である。この時代の戦記を読むと、愚かさに、それも特にエリート層の愚かさに腹がたつ。だが最近の政府や官僚の行動は、この時代とオーバーラップして見える時もある。とても正気とは思えないと。

 旧日本軍が愚かだった理由、それは私の頭の中にずっと整理できずに引っかかってきた。だが先ほどの実験結果の記事はとてもシンプルな答えをくれた。結局一番重要なのは、それぞれが銘々に自分で考えて結論を出すことなのだ。

 日本が世界に比べても、特に愚かに見える理由は、各自が銘々に考えるという習慣があまりないからなのだろう。同一民族という幻想、マニュアル社会、暗記中心の教育、本音と建前、和という言葉で誤魔化された見せかけの協調など。

 「君子は和して同せず、小人は同じて和せず」古人はうまくいったものだ。

 また色々と各種の記事や自身の経験から言うと、

 「ほとんどの人間は、わけも解らず現状維持をしたがる」というのがある。

 仕事関係で時々こういった人物をみかける。なんだか解らないが反対するリーダーや、常にネガティブ思考であり得ない反論するリーダなどだ。こういった人に共通するのは、「行動するリスク」は想像できるのに、「行動しないリスク」は想像できてないことだ。
(この件は過去に「想像力の欠如、リーダーには想像力が必要」として書いたが)


●これからについて
 「集団の知恵」についてもう少し考えれば、TVや受信は一方通行のメディアなので、これしか情報ソースとして持ってない人は、まさにB)の正解率が低いグループになる可能性が高いことだ。ネットは情報が錯綜し、混乱させられるので誤りが多そうな気がするが、双方向メディアなのでTV等に比べれば、まだ正しい可能性に辿り着く可能性が高いといえる。

 単純な解としては、「もっとより多くの人と活発に議論すべし」という事なのだろう。だが元々の日本人という文化傾向を見ると、時間はかかりそうだ。

 原発事故が起こった時、これで世の中は大きく変わらざるを得ないと思った。だが実際にはなかなか変わりはしない。まだまだ時間がかかるのだろう。これからも考え続けないといけないのだろう。

 ちょっと本題からずれるが、少し前に「放射能汚染の現実を超えて/小出裕章」という本を読んだ。実は小出氏については私はその行動や考えは尊敬する部分があると思っていが、同時にいくつか理解できない部分もあった。
  • 過去のブログで見たが、発言を見てアメリカに対する強い批判
  • 内部被爆については、あまり語ってない
  • 参考人としての発言で、現在よりも歴史を中心に語った点
 私は小出氏が内部被爆や食品汚染についてはあまり語りたがらないように見えて、前から少し不思議に思っていた。小出氏は物理畑の人だから、あまり医学的な部分は詳しくないのだろうかとも思った。だが本を読んで理由が良く解った。内容はチェルノブィリについてだが、その中で小出氏は普通の野菜に含まれる放射線を減らす方法はないかと、いろいろ試した内容が載っている。野菜を洗う、煮るそして水を絞るなど・・・。だが決定的な解決法は無かった。

 故に小出氏は食品汚染については、知っていたからあまり語らなかったのだろう。歴史を中心に語ったのも、原子力を止める以外に解決する手段がほとんどない事を知っていたからなのだと解った。この本を読んで、私も改めて闇の深さを知る想いだった。

 被害は急速に広まり、解決は急がないといけない。だが、解決に至る道のりは長くなりそうだ。


<参考:6/2のTweetメモ>
  • この国は分裂している、言論で見れば、①TV+主要メディア、②ネットメディア。この視点で言えば、いまだにTVしか信用しない情報を入手しないように人がいるのは残念なことだ。
  • この国は分裂している、スタンスで見れば、①原子力利権グループ、②情報をもって批判的なグループ、③洗脳された人、④無関心で疎外されたグループ。①はヒエラルキーの上位だ。だが自分の住む世界を汚染すらする。①の行動には長期的には合理性は無い。
  • 私は始めは合理性という視点で原子力廃止を考えようとしたが、現実を知ればしるほど推進派は合理的に考えてないのではないかと思うようになった。彼らに理を説く事は無意味なのではと考えるようになった。
  • では理を無視して彼らは何を基準に行動するのか? 惰性か、メンツか、盲信なのか? 彼らは正気ではなく、カルトな連中と同じレベルなのだろうか。ある意味にたようなものなのかもしれない。
  • では正気でない連中とどうやって議論すべきなのか? はたして議論は可能なのか? 過去の行動様式をただ反復するような者たち、私にはもはや彼らが、ただ人の形をしただけの存在にみえる。
  • カルトな連中をどうすればよいのか? ①強制的に排除するしかないのか、②もっと強力に洗脳をしなおす事を覚悟すべきなのか? 飛躍した論理であることは承知の上だが、この不毛な事態を止めるには、何が必要なのか? 人の形をした者達と、語ることが可能なのかという事すら疑念をを感じている。
  • 原子力というものに対して、それぞれ異なる夢を持ったまま議論は平行線をたどる。①豊かさや力という幻想、②崖っぷちでつま先立ちを続けているという世界。
  • 民主主義の前提は、所詮は各自が合理的に行動するという仮定を含んでいるのだろう。だが惰性で流される世界は合理にはほど遠い。盲信や狂気としか説明がつかない。
  • 与謝野はもっとも解りやすい神がかり的な、原子力の妄想に浸っているのだろう。これは仮に世界を破滅されるとしても直前まで変わらないだろう。こういった狂人を相手に、いかに原子力という悪夢をやめさせるか。どうやって狂人に対抗すべきか、それを考えなければいけない。
<参考>
・意見共有で「集団の知恵」が低下:研究結果

・権力者はなぜ「堕落」するのか:心理学実験

・現実逃避へのスケープゴート 得体のしれない原発風評差別